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== 社会における歴史と現状 ==
=== 日本国外での歴史 ===
[[19世紀]]までも、重度の知的障害者がいた事は確実である。しかし、軽度の知的障害者の場合は、あまり支障なく社会生活を送れていたことが多かった。しかし、近代的な[[学校制度]]が普及するにつれて、[[年齢主義と課程主義|年齢主義]]的な[[進級]]制度が広く行われるようになり、年齢基準の[[学年]]編成では、どうしても付いていけない[[児童]]の存在が明らかになってきた。そしてそういった児童生徒には、単純に怠けていたり、学業への興味がなかったりするために成績が悪い生徒と、努力しても成績が悪い生徒の二種類があるということも段々気付かれてきた。[[1905年]]に、フランスの[[アルフレッド・ビネー]]が世界初の[[知能検査]]を公表したが、これ以降、知的障害の児童は、厳密な診断のものさしで区分されることになった。ビネー死後、知能検査はさまざまな心理学者によって改良され、現在では[[知能指数]]を基にして知的障害を判定するようになった。
 
[[ナチス]]の障害者政策、福祉国家[[スウェーデン]]の[[不妊手術]]発覚など、諸外国でも知的障害者は社会的に抑圧されていたが、[[ピープル・ファースト]]運動などによって自立の機運が高まっている。