「ニコライ・シュヴェルニク」の版間の差分

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[[第二次世界大戦]]中、シュヴェルニクはおもに[[ヨーロッパ・ロシア]]の産業を[[ナチス・ドイツ]]の侵攻から[[ウラル]]以東に疎開させる役割を担った。戦後の[[1946年]]、[[ミハイル・カリーニン]]の跡を引継いでソ連の[[国家元首]]に相当する最高会議幹部会議長に選出された。[[1952年]]党幹部会員(政治局員)に昇格するが、翌[[1953年]]スターリンの死後、幹部会員候補に降格されている。
 
スターリンの死後は、一層、名目上の国家元首として存在感を薄くしていたが、その地位を[[ソ連邦元帥]]である[[クリメント・ヴォロシーロフ]]に取って代わられた。最高会議幹部会議長を退いたシュヴェルニクは、古巣である全ソ労組中央評議会議長に選出された。[[1953年]]、[[ニキータ・フルシチョフ]]によってソ連共産党統制委員会議長に就任する。フルシチョフは[[非スターリン化]]の一環として、シュヴェルニク[[大粛清]]の犠牲者に対する名誉回復を担当させた。このため、この時期統制委員会は「シュヴェルニク委員会」と呼ばれた。[[1957年]]党幹部会員に復帰し、[[1966年]]に引退するまで正会員の地位を保った。
 
{{先代次代|[[最高会議幹部会議長|ソ連最高会議幹部会議長]]|[[1946年]] - [[1953年]]|[[ミハイル・カリーニン]]|[[クリメント・ヴォロシーロフ]]}}
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