「落合博満」の版間の差分

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** 現役時代、室内練習場で長時間にわたるバッティング練習を終えたところ、落合の指が感覚を失い、バットから離れなくなってしまう事態になった。その時、物陰から姿を現し、指をゆっくりとバットから離してあげた人物が稲尾だった。稲尾は落合の練習をずっと見守っていたのである。落合の稲尾への私淑はこのときがきっかけだという。
** 稲尾もまた、1986年の序盤に極度の不振に陥った落合を4番で起用し続けるなど絶大な信頼を寄せ、落合もそれに応えて不振から立ち直り、三度目の三冠王に輝いた。この年のオフの[[世紀のトレード#1987年 落合博満(ロッテオリオンズ) - 牛島和彦・上川誠二・平沼定晴・桑田茂(中日ドラゴンズ)|世紀のトレード]]は稲尾の監督解任によるロッテへの不信感が一因とされている。落合が正力松太郎賞を受賞した2007年11月13日は奇しくも稲尾の命日でもあり、受賞後の会見で稲尾について「監督と選手の立場を超えて野球を語り合った。(稲尾が教えてくれた)打者には分からない投手心理は私の財産」との旨のコメントを残している。
* プロ入り前から[[長嶋茂雄]]の熱心なファンで、[[後楽園球場]]での引退試合をスタンドで観戦している。ロッテ時代には取材を受けた際に「長嶋さんがもう一度巨人の監督になったら、世間からバカにされますよ。笑われますよ。だって、自分をクビにしたチームにのこのこ帰っていくヤツがどこにおるんよ」と発言し、取り沙汰されていた巨人復帰に釘を刺したことがある<ref>[[玉木正之]] 『プロ野球大大大事典―決定版!!読むプロ野球』([[東都書房]] [[1986年]]3月)</ref>。にもかかわらず、[[1992年]]、長嶋が巨人の監督に復帰すると落合はFAで巨人に移籍。会見で「長嶋さんを胴上げするために来ました」と述べ、実現させている。
* 落合は20代で結婚もスピード破局し、その後、ホステスをしていた9歳年上の[[落合信子|信子]]夫人と[[再婚]]。[[愛妻家]]([[恐妻家]]?)として知られる。FA権の行使や監督就任などを決定させた事でも知られる(詳細は[[落合信子]]の項目を参照)。2人の間には長男・福嗣がいる。
* [[パシフィック・リーグ]]で採用している[[指名打者]]制度には批判的であり、ロッテ時代は指名打者での出場があるが、現役最晩年の日本ハムでは指名打者での出場を頑なに拒否し、一度も指名打者では出場しなかった。通算2236試合に出場しているが指名打者での出場はわずか17試合である。