「ボン・スコット」の版間の差分

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===初期の活動===
郵便配達、バーテンダー、トラック荷積みなどの仕事を経て、スコットは最初のバンドである[[:en:The Spektors|ザ・スペクターズ]]を[[1964年]]に結成し、ドラマーをしながら、時々リード・シンガーも担当していた<ref>{{Harv | Walker | 1994 | p=32}}</ref>。2年後、スペクターズは、ザ・ウィンストンズという地元の別のバンドと合体し、[[:en:The Valentines|ザ・ヴァレンタインズ]]となり、スコットは[[:en:Vince Lovegrove|ヴィンス・ラヴグローヴ]]とともに2人いるリード・シンガーのひとりとなった。ヴァレンタインズは、[[:en:The Easybeats|ジ・イージー・ビーツ]]の[[ジョージ・ヤング (ミュージシャン)|ジョージ・ヤング]]([[AC/DC]]のヤング兄弟の兄)が書いた曲を何曲かレコーディングし、そのうちの1曲「Every Day I Have to Cry」は、地元でトップ5にまで上昇した<ref name="story_cib" />。[[1970年]]、シングル「Juliette」がオーストラリアの[[:en:ARIA Charts|ARIAチャート]]で全国トップ30に入った後、ヴァレンタインズは音楽性の違いから解散したが、その背景には薬物スキャンダルが大々的に報じられたことがあった<ref name="amg">{{cite web | url=http://www.allmusic.com/cgartist/amg.dll?p=amg&sql=11:p0yvad7kv8wj~T1p36405 | last = Ankeny | first = Jason | title = Bon Scott Biography | work = [[Allmusic]] | accessdate = 2008-08-07}}</ref>。
 
[[1970年]]、スコットは[[南オーストラリア州]][[アデレード]]に移り、[[プログレッシブ・ロック]]のバンド、[[フラタニティ (バンド)|フラタニティ]]に参加した。フラタニティは、アルバム『''[[:en:Livestock (album)|Livestock]]''』と『''[[:en:Flaming Galah|Flaming Galah]]''』をリリースし、[[1971年]]にはイギリス・ツアーを行った。このツアーでは、[[ステイタス・クオー]]や[[:en:Geordie (band)|ジョーディー]]の前座を務めたが、当時ジョーディーのフロントマンだった[[ブライアン・ジョンソン]]は、スコットの死後AC/DCのリード・シンガーとなっている。
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<!--英語版では、{{multi-listen がここに入る。-->
 
AC/DCは、[[1977年]]のアルバム『ロック魂 (''[[:en:Let There Be Rock (album)|Let There Be Rock]]'')』と[[1978年]]の『パワーエイジ (''[[:en:Powerage|Powerage]]'')』でさらに成功を収めた。『パワーエイジ』は、(マーク・エヴァンスに代わった)ベースの[[クリフ・ウィリアムズ]]のデビュー作となり、よりハードな[[リフ]]で『ロック魂』で打ち立てられた路線を押し進めるものだった。このアルバムは[[:en:Harry Vanda|ハリー・ヴァンダ]]とジョージ・ヤングのプロデュースでボン・スコットがヴォーカルをとった最後の作品であり、AC/DCのアルバムとしては最も不当に低く評価されているものだといわれている<ref>{{cite web | url = http://www.allmusic.com/cgalbum/amg.dll?p=amg&sql=10:a2d7gjtrj6ipr81 | title = AC/DC - Powerage | work = [[Allmusic]] | first = Stephen Thomas | last = Erlewine | accessdate = 2008-08-07 }}</ref>。『パワーエイジ』から出た唯一のシングル盤「地獄のロックン・ロール ([[:en:Rock 'n' Roll Damnation|Rock 'n' Roll Damnation]])」は、それまでで最高のチャートでの動きを見せて24位まで上昇した。''Powerage'' ツアーで回ったスコットランド・[[グラスゴー]]の[[:en:The Apollo (Glasgow)|アポロ・シアター]]における演奏は録音され、ライブ盤『ギター殺人事件 (''[[:en:If You Want Blood You've Got It|If You Want Blood You've Got It]]'')』となった<ref name="popmatters">{{cite web | url = http://www.popmatters.com/music/reviews/a/acdc-reissues2.shtml | title = Epic Records AC/DC Re-issues: Second Wave | accessdate = 2008-08-07 | last = Christopher | first = Michael | date = 2003-06-30 | work = [[:en:PopMatters|PopMatters]] }}</ref>。
 
AC/DCの6枚目のアルバム『[[地獄のハイウェイ]] (''[[:en:Highway to Hell (album)|Highway To Hell]]'')』は、[[:en:Robert Lange|ロバート・ランジ]]のプロデュースで[[1979年]]にリリースされた。このアルバムは、AC/DCにとって、米国でトップ100に入った最初のアルバムであり、最終的には17位にまで登り詰め、バンドをトップ・ランクのハード・ロック・アクトにまで押し上げることになった<ref name="timeline">{{cite web | url = http://www.acdcrocks.com/TIMELINE_index.html | title = Timeline | work = AC/DC official website | accessdate = 2008-08-07}}</ref><ref name="Bonfire">{{cite book | first = Murray | last = Engleheart | title = AC/DC - [[:en:Bonfire (album)|Bonfire]] | date = 1997-11-18 }}</ref>。