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== 歴史 ==
[[ソビエト連邦]]の崩壊後、[[バルト三国]]を除く12カ国が[[独立国家共同体]] (CIS) を形成したが、[[ロシア]]が旧ソ連諸国への影響力を維持するための機構として残ったため、ロシアの影響圏からの離脱を希望する上記4カ国が集まり、[[1997年]][[10月10日]]に創設された。当初は連絡会議としての性格が強かったが、[[2002年]]6月に開催された首脳会議にて、GUUAM憲章条約が調印された。その後、[[2004年]][[12月]]に脱露・入欧米路線を掲げる[[ヴィクトル・ユシチェンコ]]が[[オレンジ革命]]により[[ウクライナの大統領]]に選出されると、
この機構の趣旨はCIS諸国に「'''自由、民主主義、人権擁護、法の支配等の共通の価値'''」を広げる、というものだが、{{要出典範囲|その4つの点に当てはまらないアゼルバイジャンやモルドバ|date=2009年8月}}が加盟していることから、事実上の反露同盟の性格が強いとみなされている。この四カ国の共通点は比較的親欧米路線で、ロシアとは政治・領土・エネルギー問題で対立関係にあるというところである。
ウズベキスタンは[[2001年]]の[[対テロ戦争]]への協力でも明らかなように、親欧米路線を取っていたが、[[2002年]]からは離脱を表明、GUUAMの会議にも出席していなかった。最終的に、[[2005年]]に起きた国民の反政府運動が欧米勢力に煽動されたものとして、親露へ転じて脱退した。なお、ウズベキスタンは[[上海協力機構]]の結成メンバーでもあり、当初より4国と性格を異にしていた。
しかし、その後モルドバとアゼルバイジャンは[[全方位外交]]路線へと方針展開し、ウクライナでもロシアとの関係改善を掲げる[[ヴィクトル・ヤヌーコヴィチ]]が大統領に就任したことで、現在明確に反ロシア姿勢を明確しているのはグルジア一国だけである。
== 関連項目 ==
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