「デヴィッド・ゲフィン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Testaverde (会話 | 投稿記録)
12行目:
[[1975年]]にはグループ企業の[[ワーナー・ブラザーズ|ワーナー・ブラザーズ映画]]に転出するが、間もなく病気療養の為に一時引退。[[1980年]]に業界に復帰した彼は、ゲフィン・レコードを設立。長らく引退状態にあった[[ジョン・レノン]]の『[[ダブル・ファンタジー|Double Fantasy]]』を送り出し、再び華々しい成功を収める。その後も、[[エルトン・ジョン]]や[[エアロスミス]]といった大御所を他社から引き抜くと共に、[[ニルヴァーナ (バンド)|ニルヴァーナ]]、[[ガンズ・アンド・ローゼズ]]、[[ベック (歌手)|ベック]]といった若手をブレイクさせた。
 
また、ゲフィン・レコードに続いて[[ゲフィン・フィルムズ]]を旗揚げし、『[[ビートルジュース]]』『[[リトル・ショップ・オブ・ホラーズ]]』などの映画を送り出した。[[ブロードウェイ]]・ミュージカル『[[キャッツ (ミュージカル)|キャッツ]]』のプロデューサーの一人でもある。
 
=== ドリームワークス設立後 ===