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[[File:AthinaiPropylaen.jpg|thumb|right|250px|プロピュライアが完全であるときにどのように見えたかを描いた19世紀の絵]]
[[File:Acropolis of Athens 31344.JPG|thumb|250px|[[アテナイのアクロポリス|アクロポリス]]のプロピュライアに向かう階段]]
[[File:Propylaeen Muenchen-1.jpg|thumb|250px|[[ミュンヘン]]のプロピュライア]]
'''プロピュライア'''(英:Propylaea、またはPropylea、またはPropylaia、[[古代ギリシア語]]:Προπύλαια){{lang-grc|Προπύλαια}})は、[[アテネ]]ナイ[[アクロポリス]]への入り口として機能した当初のプロピュライアに基づいた堂々とした入り口である。「プロピュライア」という言葉(''propylaeum''は[[ラテン語]])は接頭辞の''pro''(前という意味)と[[ギリシア語]]の''pylon''(門)の複数形''pylaion''の合成語であり、文字通り門の前を意味するが、この言葉は単に「門となる建物」を意味するようになってきた。[[ベルリン]]の[[ブランデンブルク門]]や[[ミュンヘン]]のプロピュライアはアクロポリスのプロピュライア中央部を具体的に写したものである。
 
== プロピュライアの構成 ==
アクロポリスの堂々とした入り口であるプロピュライアは[[アテナイ|アテネ]]の指導者[[ペリクレス]]の一般的指示で建設されたが、フィディアスが[[ペルシア戦争]]が終わった時にアクロポリス全体として再建する計画を立てるよう任された。建物は建築家ムネシクルスによって設計された。建設は[[紀元前437年]]に始まり、建物がまだ完成していない同432年に中断された。
プロピュライアは白いペンテリック[[大理石]]と、アクセントを与えるだけのために使われた灰色のエルージニアン大理石すなわち石灰石で造られた。構造用の鉄材も使われたが、建築史家ウィリアム・ベル・ディンスムア<ref>Dinsmoor, William Bell (1922), "Structural Iron in Greek Architecture," ''American Journal of Archaeology,'' XXVI</ref>は構造を解析して、鉄は建物を弱めたという結論を出した。その構造は中央の建物の西外側に2つの隣接する翼があり、1つは北に1つは南にある。中核となるのは中央の建物であり、標準的な6本の柱に支えられた[[ドーリア式]][[ファサード]](正面)がアクロポリスに入る西面と出口の東面にある。柱は[[パルテノン神殿]]の柱のプロポーション(サイズではない)を真似てある。