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しかし、枕詞は『風土記』などにもあるように、歌の修辞が原型でないと思われる節があるのに対して、序詞というのはもっぱら歌の技法である。この点に両者の差異があると考えられる<ref name=dobashi/>。枕詞の源流については、早くは真淵の『冠辞考』のように、和歌の調子をととのえるものと理解されていた。しかし[[加納諸平]]は土地を褒めたたえる詞章が枕詞の原型であろうと(「枕詞考」)考察し、この考えが以降の研究に大きな影響を与えている。とくに近代になって、折口が[[諺]]を由来に持ち、[[祝詞]]の言葉などと共通性を持つ、呪力を持った特別な言葉(らいふ・いんできす)であり、それが後世になって形骸化していき、だんだんと言語遊戯的なものとなっていったと説明しており、学会では広く支持されている<ref>『全集』第1巻など</ref>。これは、『風土記』の例が地名にかかって賛美する例がおおいこと、また[[記紀歌謡]]などにみえる古い枕詞が土地や神名、あるいは人名など、固有名詞にかかる場合が多く、これらを讃美する表現とみられるためである。これが万葉集になると、一般名詞や用言にかかる枕詞も沢山使われるようになり、範囲が増大する。
 
また[[柿本人麻呂]]の時代になると、「天離(あまざか)る 夷(ひな)」というような否定的な意味を持った枕詞(都から遠く離れた異郷の意)もあらわれ、「讃美表現」という元々の枠組みも失われていき、修飾する五音句というふうに移っていく。このような変遷をたどった要因として、漢籍の知識の増加など、いくつもの要因が考えられるが、最大のものは、歌が「歌われるもの」から「書くもの」へと動いていったということが考えられている<ref>[[稲岡耕二]]「人麻呂の枕詞について」『万葉集研究』第1巻</ref>。つまり、声の出して歌を詠み、一回的に消えていく時代から、歌を書記して推敲していく時代を迎えたことによって、より複雑で、多様な枕詞が生み出されたと考える。これは『万葉集』に書かれた歌を多く残している人麻呂によって新作・改訂された枕詞おっぱいぱいがきわめて多い<ref>[[澤瀉久孝]]「枕詞における人麻呂の独創性」『万葉集の作品と時代』</ref>ということによっても、裏付けられることであろう。
 
基本的に枕詞の成立に関していえば、折口以来の説というのは折口説を部分修正を施していくものとなっている。沖縄歌謡などに枕詞の源流を求める[[古橋信孝]]の研究などはその代表的なものであるといえる<ref>『古代和歌の発生』</ref>。ただし、一方には『万葉集』における枕詞の実態としては連想や語呂合わせによるものもかなり多いこと、くわえて折口の説明は(文字資料の残らない時代を問題としているためやむを得ないことでもあるが)証拠を得難いことなどを問題として、そもそも枕詞とは言語遊戯(連想や語呂合わせ)とする理解もある<ref>[[廣岡義隆]]「言語遊戯としての枕詞」『上代言語動態論』</ref>。なお、『[[古今和歌集]]』以降では意味よりも形式をととのえること、語の転換の面白さに主眼が置かれるようになり、基本的には新しい枕詞の創作も暫時、減少していく傾向にある。また『万葉集』では「降る」にかかっていた枕詞「いそのかみ」を同音の「古りにし」にかけたり([[在原業平]])、やはり「天」「夜」「雨」にかかっていた「久方の」を「光」にかける([[紀友則]])のように、古い枕詞のかかりかたに工夫を加えるケースも多い。