「一般親衛隊」の版間の差分

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武装親衛隊の隊員は給与支給帳(Soldbuch)を所持し、全員に給料が支払われていたが、一般親衛隊は給与支給帳(Soldbuch)がなく、給料は[[親衛隊中将]]以上の階級の者か、常勤の隊員にしか支給されなかった。一般親衛隊の非常勤隊員はそれぞれ仕事をもって日常生活を送りながら、ナチ党の集会や党大会の時だけ親衛隊の制服を着て出席していた。一般親衛隊の隊員は職業を持って空き時間を使って自発的に党活動に参加する事を期待されていた。親衛隊は本来は公務員ではなくナチ党の構成員だからである。とはいえ一般親衛隊員の多くがナチ党政権下で公務員として働いていたのでそちらの立場から給料をもらっていることが多かった<ref name="山下38">山下、38頁</ref>。
 
一般親衛隊といえば黒い制服が有名である。黒服はもともと親衛隊組織全ての制服であったが、戦闘組織の[[親衛隊特務部隊]]や[[強制収容所 (ナチス)|強制収容所]]勤務の[[親衛隊髑髏部隊]]はやがて国防軍型の制服を導入したため、黒服を着用しなくなった。そのため一般親衛隊のみが黒服を着用するようになった。しかし1938年には一般親衛隊の常勤隊員の日常業務制服として[[ペイルグレー]]の制服が導入された。常勤隊員は黒服に代わってこれを着用するようになったが、4万人ほどの非常勤隊員にはグレーの制服が支給されず、彼らは黒服を使用し続けた。そのため、かつてはエリートの象徴だった一般親衛隊の黒服も戦争後期には兵役逃れの臆病者の象徴として笑い者にされるまでになり下がっていたという<ref name="ラムスデン65">ラムスデン、65頁</ref>
 
[[File:Grey SS uniform.jpg|150px|thumb|right|親衛隊の本部に勤務する常勤一般親衛隊員に支給されたペイルグレーの制服のイラスト]]
しかし1938年には一般親衛隊の常勤隊員の日常業務制服として[[ペイルグレー]]の制服が導入された。常勤隊員は黒服に代わってこれを着用するようになったが、4万人ほどの非常勤隊員にはグレーの制服が支給されず、彼らは黒服を使用し続けた。そのため、かつてはエリートの象徴だった一般親衛隊の黒服も戦争後期には兵役逃れの臆病者の象徴として笑い者にされるまでになり下がっていたという<ref name="ラムスデン65">ラムスデン、65頁</ref>。
 
階級は一般親衛隊、武装親衛隊ともに[[突撃隊]](SA)の階級が元になっており、基本的に同じであったが、一部だけ名称が異なった。たとえば[[親衛隊二等兵]]の階級は武装親衛隊では「SS-Schütze」、一般親衛隊は「SS-Mann」の階級をつかった。同様に[[親衛隊一等兵]]も武装親衛隊は「SS-Oberschütze」、一般(アルゲマイネ)SSは「SS-Obermann」の階級をもちいていた。また武装親衛隊のみの階級として[[親衛隊准尉]](SS-Sturmscharführer)というものがあった。さらに[[親衛隊少将]]以上は武装親衛隊では国防軍と同様の階級を用いていた。ただ武装親衛隊員には一般親衛隊員の階級も併せて授与されるのが通例であった。親衛隊の階級の詳細は'''[[親衛隊階級]]'''を参照のこと。
 
== 一般親衛隊の編成 ==
一般親衛隊の隊員(特に非常勤隊員は、親衛隊歩兵連隊(SS-Fuß Standarte)の大隊・中隊・小隊に属し、歩兵連隊の単位ごとに行動していた。最初にできた親衛隊歩兵連隊は1925年11月9日に[[ヨーゼフ・ディートリヒ]]の指揮下にミュンヘンに発足した親衛隊第一連隊(1.SS-Standarte)である<ref name="Yerger169">Yerger、169頁</ref><ref name="山下32">山下、32頁</ref>。
 
親衛隊歩兵連隊は当初、ナチ党の大管区ごとに置かれた「大管区親衛隊指導部」(Gau-SS Leitung)に属していたが<ref name="山下19">山下、19頁</ref>、1931年に[[突撃隊]]をモデルに「親衛隊上級指導者管区」(SS-Oberführerbereich)が設置されると、親衛隊歩兵連隊はそれに属した。さらに1932年にはその上に「親衛隊集団」(SS-Gruppe)が創設され、1933年11月に親衛隊集団が「[[親衛隊上級地区]]」(SS-Oberabschnitt)に改組され、また親衛隊旅団(SS-Brigade)が親衛隊地区(SS-Abschnitt)に改組された。親衛隊歩兵連隊はその下に属した<ref name="山下31">山下、31頁</ref><ref name="Yerger169">Yerger、169頁</ref>。