「相見駅」の版間の差分

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{{出典の明記|date-2010年11月}}
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{{現在進行}}
 
== 駅構造 ==
[[プラットホーム|ホーム]]は2面3線で、下り線が[[島式ホーム]]になり、[[橋上駅|橋上駅舎]]、[[自由通路]]が[[建設]]される。また、駅周辺のアクセス[[道路]]、交通広場、[[パークアンドライド]]用の[[駐車場]]、[[駐輪場]]も整備される予定<ref>[http://www.town.kota.lg.jp/index.cfm/14,11046,c,html/11046/20100412-115942.pdf (仮称)相見駅周辺地区先導的都市環境形成計画 (相見エコまちづくり計画)]、幸田町、2010年3月31日策定、Page13</ref>
 
== 歴史 ==
[[1900年]]、相見村の志賀藤助村長が同志らと村内に駅設置を企画し、相見村停車場設置期成同盟会を組織した。同盟会は村内各地区ごとに募金を募り、隣村にも協力を依頼した<ref name="choushi1">『幸田町史』 465頁</ref>。相見村の動きを受けて、[[深溝 (愛知県)|深溝村]]でも期成同盟会が発足している<ref>地域史 深溝編さん委員会、地域史深溝、1997年、386頁</ref>。[[1902年]]、[[蒲郡駅]]~[[岡崎駅]]間が複線化したことで、相見村の山本鍬之助村長と、地元選出の県会議員・足立信次郎の要請で新駅設置は実現段階に入った。しかし、[[1906年]]に相見村・坂崎村・深溝村の3村が合併して広田村が発足。これを機に、駅設置場所は深溝村と相見村の中間に位置する芦谷信号所北350mに移され、[[1908年]]に[[幸田駅]]として開業した<ref name="choushi1">『幸田町史』 466頁</ref>。
 
[[1989年]]に相見地区の住民により、再び期成同盟会が結成された。幸田町も「幸田相見特定土地区画整理組合」を発足させ、[[1998年]]度より駅予定地周辺の[[土地区画整理事業]]を開始した。[[2007年]]3月1日には、幸田町、土地区画整理組合、[[東海旅客鉄道]](JR東海)の間で「新駅等設置の計画協議推進に関する覚書」が調印され、JR東海による調査設計が始まった。一方で、[[2008年]]5月に開かれた町民と町の「学区懇談会」では、出席者から新駅に慎重な意見も出された。更に、同年秋からの急激な景気の後退で、[[トヨタ自動車]]の好況から潤沢だった町税収が大幅な減収となった。このことから、大きな財政負担を伴う新駅建設を性急に行うべきではないという意見もあった。[[2008年]]10月17日の幸田町議会第2回臨時会で、新駅設置の負担金45億8000万円を限度額とする[[債務負担行為]](2009年度~2012年度)の補正予算が可決された<ref>幸田町議会、こうた議会だより2009年2月号 、2009年、2頁</ref>。同日、幸田町、土地区画整理組合、JR東海の3者間で基本協定が締結された。[[2009年]]12月14日、新駅の建設が着工され、[[2010年]]6月5日に起工式が執り行われた。
 
=== 年表 ===