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{{by|2009年}}、横浜から[[石井琢朗]]が加入し、遊撃手争いが激化するが、首脳陣からの期待は大きく、開幕戦で3番に抜擢される。すぐに下位を打ったり、石井と併用されたりもしたが、交流戦から1番を打つ機会が増えるとパ・リーグ球団の研究不足も手伝って調子を取り戻し、チームも交流戦の優勝争いを演じる。しかし交流戦が終わりセ・リーグ相手になると再び打てなくなり下位を打つ機会が増え、結局8月上旬の試合直前に「チーム事情」による突然の二軍落ち。再び小窪に正遊撃手を奪われる形となった。二軍でも昇格を大きくアピールするだけの成績は残せずこの年一軍復帰は無かった。出場試合数は前年を更に下回る73試合に終わり、打撃成績も[[長打]]の数や[[盗塁]]を除けば前年とほとんど変わらない成績に終わる。
 
{{by|2010年}}、小窪とのポジション争いが注目される中、オープン戦では打率.227と振るわなかったものの、両リーグ1位の8盗塁をマークし、開幕を2番・遊撃手で迎える。シーズンに入ると3割前後の打率を維持し、1番[[東出輝裕]]とともに不動のリードオフマンとして低迷するチームの中で気を吐いた。東出の故障による離脱後は1番に座り、チーム唯一の全試合出場を果たすなど、シーズン終了まで安定した活躍を見せた。3年ぶりの規定打席に到達するとともに初の打率3割を達成。[[横浜ベイスターズ]]の[[石川雄洋]]に競り勝ち、自己最高の43盗塁をマークし、[[盗塁王]](チームでは[[1997年]]の[[緒方孝市]]以来13年ぶり)を獲得した。更にリーグ4位の36[[犠打]]、自身初となる[[ゴールデングラブ賞]]輝く受賞するなど、過去2年の不振から完全復活を果たしたシーズンとなった。
 
== 人物 ==