「マルカントニオ・インジェニェーリ」の版間の差分
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生い立ちについてはほとんど分かっていないが、おそらく一族は[[ヴェネツィア]]の出身であり、[[パルマ]]で[[チプリアーノ・デ・ローレ]]に師事しているかもしれない。[[1570年]]のある時期に[[クレモナ]]に移り、作曲家や器楽演奏家として名を揚げた。どうやら[[オルガン]]奏者だったらしく、腕利きの演奏家として知られていたようだ。[[1581年]]にクレモナ大聖堂の事実上の終身楽長に就任する。
インジェニェーリは、[[対抗改革]]
インジェニェーリの[[ミサ曲]]は簡潔で短く、比較的ホモフォニックに作曲され、単純明快さにいてはしばしばパレストリーナを凌いでいる。[[マドリガーレ]]は保守的になりがちで、精彩ある[[半音階]]や[[音画]]を試みた同時代の[[ルッツァスコ・ルッツァスキ]]や[[ルーカ・マレンツィオ]]らの新機軸をあからさまに無視している。
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