「三角貿易」の版間の差分

(推敲)
[[17世紀]]から[[18世紀]]にかけて、[[イギリス]]をはじめとするヨーロッパでは[[喫茶]]の風習が広まり、[[砂糖]]の需要が急激に高まった。それに伴い、砂糖を生産する[[西インド諸島]]および[[ブラジル]]北東部などでは労働力が必要となった。
 
こうした状況の下で、ヨーロッパから出航した船は、カナリア海流に乗って西アフリカへ繊維製品・ラム酒・武器を運んだ。輸出された武器は対立するグループ間へ供与され、[[捕虜]](奴隷)の確保を促すこととなった。それらの品物と交換で得た奴隷を積み込み、南赤道海流に乗って西インド諸島やブラジル(ブラジル南東部へは[[ブラジル海流]])へと向かい、交換で砂糖を得て、メキシコ湾流と北大西洋海流に乗って本国へ戻った([[奴隷貿易]])。こうして、ヨーロッパ→西アフリカ→西インド諸島→ヨーロッパという一筆書きの航路が成立し、「三角貿易」と言われた。[[奴隷]]の一部は[[アメリカ合衆国]]南部へと輸出され、多くは[[綿花]]の[[プランテーション]]で働かされることとなった。綿花は[[イギリス]]の織物工場へ輸出され、[[産業革命]]の基盤になったとされている。貿易の平均的な利益率は10%-30%といわれている。
 
 
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