「山中貞則」の版間の差分

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*1990年の総選挙では、消費税問題の逆風、同じ選挙区の[[二階堂進]]が政治力を大きく低下させていたことによる「自民党で落ちるのは二階堂」というムードの影響で、県連が山中より二階堂にてこ入れしたため、最下位当選の有川清次に28票差で落選。しかし、「消費税を通す犠牲になった」ということになり、1993年の国政復帰後の発言力は、むしろ増大した。
*[[1993年]]の総選挙では党分裂の影響で自民党は振るわなかったが、山中は74歳の高齢ながら返り咲きに成功した。
*税調会長就任以降は、信条として税制に関する限り一切の陳情及び取材を受付けなかった。そのせいか、山中の影響力が絶大だった時期にも、選挙区の主要産業である葉[[タバコ]]や[[焼酎]]の増税案が通過している。ただし、肉用牛に関する所得税の時限の免税特例措置が1967年に税調会長就任前の山中の尽力で導入され、山中の税調会長就任後も何度か延長されて事実上の恒久措置となった。
*政府税調と方針が対立して「政府税調を軽視しているのではないか」と聞かれた際に、「軽視ではない。無視しておる」と発言した[http://www.cuc.ac.jp/keiken/view/27/tokusyu/index5.html][http://www.jnpc.or.jp/cgi-bin/pb/pdf.php?id=467]。
*税制調査会では会長退任後も最高顧問として事実上の最高実力者であった。[[森内閣]]の頃には、自[[公明党|公]][[保守党 (日本)|保]]三党と関係閣僚が合意した経済対策が、税制の部分に山中が同意しないというのでストップしたことすらあったという。
*[[小泉純一郎]]首相が山中事務所を訪れて税制関係の会談を持った際には集まった報道陣に「税のことは50年しかやっていないのでよくわかりません」と煙に巻いた。小泉との個人的な関係は、小泉が鹿児島にゆかりがあること(小泉の父である[[小泉純也]](旧姓鮫島)は鹿児島県[[加世田市]]出身)もあって悪くなかったらしい。