「佐治信方」の版間の差分

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'''佐治 信方'''(さじ のぶかた、[[天文 (元号)|天文]]22年?([[1553年]]?? - [[天正]]2年[[9月2928日 (旧暦)|9月2928日]]?([[1574年]][[10月1312日]]??/天文19年([[1550年]]) - [[元亀]]2年([[1571年]])5月という説もある)は[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の武将。通称は八郎。[[尾張国]][[大野城 (尾張国知多郡)|大野城]]主[[佐治為景]]の嫡男で、名ははじめ「為興」。妻は[[織田信秀]]の娘で[[織田信長|信長]]の妹[[お犬の方]]。そのため信長の義弟にあたる。子に[[佐治一成|一成]]、[[中川秀休|秀休]]。
 
佐治氏は代々[[知多半島]]の大半を領した豪族で、[[伊勢湾]]海上交通を掌握する佐治水軍を率いていた。そのため尾張を領した信長らにとって非常に重要視され、[[桶狭間の戦い]]の後に信長に臣従するが、妹を妻に与えられ、信長の字を拝領されて「信方」と改名するなど、待遇は一門衆並みであった。
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信方は信長の嫡男[[織田信忠|信忠]]に従って、[[長島一向一揆|伊勢長島攻め]]に加わるが、ここで討ち死にしてしまう。わずか22歳であったという。
 
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[[Category:佐治氏|のふかた]]
[[category:戦国武将]]