「ベルナルド・ベッロット」の版間の差分

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ベッロットはヴェネツィアで生まれた。父はロレンツォ・ベッロット、母はカナレットの妹フィオレンツァである。伯父カナレットに才能を認められ、14歳から伯父の元で修行を積んだ。
 
1742年に、彼は都市のヴェドゥテを創り出すべく[[ローマ]]まで単独で旅し、はじめて伯父の影響を受けずに絵画を描く機会を得た。1744年からはイタリア北部を旅し、どの都市でもヴェドゥテを描写し、描画技術を磨いた。19451745年には、[[サヴォイア家]]の[[カルロ・エマヌエーレ3世]]から依頼され、絵を描いている。その後、1747年に家族と共にヴェネツィアを離れ、その後は故郷に戻ることはなかった。
 
[[File:Dresden-Elbe-Augustusbrücke.jpg|thumb|200px|『アウグスト橋下流のエルベ川右岸から見たドレスデン』, 1748年]] 1747年から1758年にかけ、彼は[[ザクセン選帝侯]]でもある[[ポーランド]]王[[アウグスト3世 (ポーランド王)|アウグスト王]]の招きに従い、[[ドレスデン]]へ赴いた。彼はドレスデンとピエルナ、またその郊外を描いた作品を多く残した。とくに、アウグスト橋下流のエルベ右岸からドレスデン中心部を描いた構図は「カナレット・ビュー」として有名で、ドレスデンを代表する景観のひとつとなっている。今日、これらの絵画が、[[第二次世界大戦]]中の大規模空襲で破壊されたドレスデンの、かつての美しさをうかがわせるものとして保存されている。