「1793年の人間と市民の権利の宣言」の版間の差分

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{{Otheruses||1789年の宣言|人間と市民の権利の宣言}}
[[Image:Declaration des Droits de l'Homme et du Citoyen de 1793.jpg|thumb|1793年の人間と市民の権利の宣言]]
'''1793年の人間と市民の権利の宣言'''(フランス語: ''{{lang-fr-short|Déclaration des droits de l'Homme et du citoyen de 1793''}} )は、[[フランス]]の左派による政治的文書である。

それは[[フランス革命]]の期間中に[[ルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュスト]]と{{仮リンク|マリー=ジャン・エロー・ド・セシェル|<ref>[[:en:Marie-Jean Hérault de Séchelles|{{lang|fr|Marie-Jean Hérault de Séchelles}}]]</ref>らが参加するした委員会によって書かれた。1793年の宣言と1789年の[[人間と市民の権利の宣言]]両者の主な違いは、その[[平等主義]]的傾向である。平等は、この宣言で普及した権利である。
 
原文は主にエロー・ド・セシェルが書いたものとしばし語られ、彼の筆致は委員会の文書のほとんどで確認できる。委員会はまた[[1793年憲法]](「憲法元年」)を書いた。同憲法は制定されたが、適用されることはなかったが、その理想は20世紀初頭のフランス左翼にまで引き継がれた。
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しかし[[フランス第四共和政]]の憲法の最初の計画もまた、この1793年版の人間と市民の権利の宣言を参照していた。{{-}}
 
== 脚注・出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
{{History-stub}}
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{{フランス革命}}