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'''論理学'''(ろんりがく,[[英語|en]]:Logic)とは[[論理]]を研究す成り立たせる[[学問論証]]の構成やその体系研究。ここでいう[[論理学問]]とは思考の法則、思考のつながり、推理の仕方や論証のつながりのことである。
 
ここでいう[[論理]]とは思考の法則、思考のつながり、推理の仕方や論証のつながりのことである。よく言われる「論理的に話す、書く」という言葉は、つながりを的確に、論証を的確にということである。
 
この[[論理]]を研究する論理学は、昔は[[哲学]]の一分野であった。現在では数学的性格がより強い論理学([[記号論理学]]、または[[数理論理学]])と、記号論理学でない論理学とに分化している、と言える。
[[弁証法]]なども、「論理」なのであるが、論理学における論理とは異なる。これらは、論理と言うよりむしろ[[理論]](Theory)である。
 
==研究史==
== アリストテレスの三段論法 ==
=== 伝統的論理学 ===
この[[論理]]を研究し、論理学という学問を形にしたのは[[アリストテレス]]とされている。アリストテレスは[[ギリシャ語]]で[[言語]]、[[論理]]を意味する[[ロゴス]] ({{Lang|el|λόγος}} logos) から「ことば」の学としてのロギカ([[ギリシア語]]の[[形容詞]] {{Lang|el|λογικ}} logica)を構想した。現代のヨーロッパ各国語で論理学を意味する語は、皆この語に由来する。アリストテレスは「大前提」、「小前提」、「結論」という三つの[[命題]]の組み合わせによる[[推論]]規則としての[[三段論法]] (gr. syllogismos) について講述した。
古代より世界各地において論理学の研究に関する文献が残されており、それらからインドのディグナーガなどが論証の基本的な条件について整理したことや、中国の墨弁が推論や証明の形式的な方法を考察したこと、ギリシアにおいては[[エウクレイデス]]が[[公理]]に基づいた論証を用いたこと、アリストテレスが推論の規則として[[三段論法]](gr. syllogismos) を定式化したことが知られている。これらの研究の中でもインドと中国での研究は個別に進められたが、ギリシアでの研究は中世においにおいてアラビアやヨーロッパに伝わり、ルネサンス以後の研究者にも参照されていることから、歴史的な研究成果として位置づけることができる。今日の論理学の体系は19世紀における研究成果に基づいているため、ここではそれ以前の論理学である伝統的論理学について概説する。
 
[[アリストテレス]]は伝統的論理学の体系的な研究に取り組んだ哲学者であり、彼は[[ギリシャ語]]で[[言語]]、[[論理]]を意味する[[ロゴス]] ({{Lang|el|λόγος}} logos) から「ことば」の学としてのロギカ([[ギリシア語]]の[[形容詞]] {{Lang|el|λογικ}} logica)を構想した。アリストテレスは『[[オルガノン]]』において論証に使われる文章を命題として捉え、それぞれの命題がどのように組み合わさることで正しい推論が可能になるかを考察している。特にアリストテレスの論理学での業績には三段論法の定式化が含まれており、これは二つの前提から一つの結論を導き出す推論の形式を指すものである。例えば「全てのAはBである。すべてのCはAである。したがって、すべてのCはBである」は三段論法に則った論証であると言うことが可能である。
アリストテレスの著作は中世[[西ヨーロッパ]]には完全に伝わらなかったため、初期スコラ哲学まではアリストテレスはもっぱら論理学者として理解された。とくに重要となった源泉は[[ポルフィリオス]]によるアリストテレス注解であり、スコラ哲学における論理学書は多くポルフィリオス注解の形で書かれた。学校が整備されるようになると、論理学は[[自由七科]]の一部門として専門諸学を学ぶ前の予備学として教えられた。中世ヨーロッパの重要な論理学者には[[ボエティウス]]、[[アベラルドゥス]]、[[オッカムのウィリアム]]などがいる。
 
中世において[[西ヨーロッパ]]には完全に伝わらなかったため、初期スコラ哲学まではアリストテレスはもっぱら論理学者として理解されていた。このような伝統的論理学の研究は[[ポルフィリオス]]によるアリストテレス注解によって紹介され、スコラ哲学における論理学書は多くポルフィリオス注解の形で書かれた。学校が整備されるようになると、論理学は[[自由七科]]の一部門として専門諸学を学ぶ前の予備学として教えられ、[[ボエティウス]]、[[アベラルドゥス]]、[[オッカムのウィリアム]]などがこの時代の論理学に寄与していた。[[イマヌエル・カント|カント]]が論理学を「アリストテレス以来進歩もなければ 後退もない、いわば完成された学問」と呼んだことからもわかるように、[[アリストテレス#論理学|アリストテレスの論理学]]研究成果は以後長い間、大きな変更を受けることなく受け継がれた。その体系に対する根本的な変革は[[20世紀]]の[[バートランド・ラッセル|ラッセル]]らの登場を待たねばならなかった。
 
近世においては[[ゴットフリート・ライプニッツ|ライプニッツ]]が今日の数理論理学の先駆となる「普遍言語」を構想した。これは多種多様な自然言語に対して、命題の統一的記述を与える[[人工言語]]の構想である。ライプニッツ=ヴォルフ派の学者に属する哲学者[[アレクサンダー・ゴットリープ・バウムガルテン|バウムガルテン]]は、伝統的な上級認識能力すなわち理性の論理学に対して、下級認識能力の論理学としての感性学を提唱し、これをギリシア語で感覚を意味する aisthesis によって aesthetica と名づけた。ここから今日の[[美学]]が哲学の領域として確立していく
== ライプニッツの「普遍言語」 ==
近世においては[[ゴットフリート・ライプニッツ|ライプニッツ]]が今日の数理論理学の先駆となる「普遍言語」を構想した。これは多種多様な自然言語に対して、命題の統一的記述を与える[[人工言語]]の構想である。ライプニッツ=ヴォルフ派の学者に属する哲学者[[アレクサンダー・ゴットリープ・バウムガルテン|バウムガルテン]]は、伝統的な上級認識能力すなわち理性の論理学に対して、下級認識能力の論理学としての感性学を提唱し、これをギリシア語で感覚を意味する aisthesis によって aesthetica と名づけた。ここから今日の[[美学]]が哲学の領域として確立していく。
 
=== 数理現代の論理学 ===
{{Main|数理論理学}}
[[19世紀]]後半には[[ジョージ・ブール]]、[[オーガスタス・ド・モルガン]]、[[ゴットロープ・フレーゲ]]などが言葉の代わりに[[数学]]の[[算法|演算規則]]をあてはめ、「概念」や「観念」を[[記号]]に変換して現代の論理学を整備する。特にフレーゲの著作『概念文字』は[[述語論理]]の基本的な枠組みを提唱したことから、この研究の前後で伝統的論理学から現代の論理学へ移行したことが認められる。また[[カントル]]は[[集合論]]の研究として新しい集合の概念を導入し、またデデキントによって数が集合の概念によって定義できることを発表し、くわえてペアノが論理記号だけを使用することを示したことは現代の論理学における重要な所期の発展と位置づけられる。この一連の研究動向の中で1902年に[[ラッセルのパラドックス]]と呼ばれる矛盾が指摘された。
 
20世紀初頭において[[バートランド・ラッセル]]はこの矛盾を解決するために[[アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド]]との共著『数学原理』 (Principia Mathematica)を発表し、集合論に基づいて数学の研究成果を統合し、記号だけでそれらを証明した。ラッセルたちの仕事を引き継いだ[[ダフィット・ヒルベルト]]は集合論を証明論的に考察して矛盾が生じない適切な[[公理]]系を見出すことによって矛盾がない保証となると主張し、この主張を賛同者との協力の下で[[ヒルベルト・プログラム]]として推進した。しかし[[1930年]]に[[クルト・ゲーデル]]によって[[ゲーデルの不完全性定理|不完全性定理]]が発見され、自然数論を含みかつ無矛盾である計算可能な公理系には、内容的には真であるが、証明できない命題が存在することが判明したために、ヒルベルトたちの研究計画は頓挫した。
[[19世紀]]後半には[[ジョージ・ブール]]、[[オーガスタス・ド・モルガン]]、[[ゴットロープ・フレーゲ]]などが言葉の代わりに[[数学]]の[[算法|演算規則]]をあてはめ、「概念」や「観念」を[[記号]]に変換して研究する数理論理学(記号論理学)を整備し、大きな研究成果をあげた。
 
最近の論理学の研究はヒルベルトが採用したような証明論的方法に対して公理がどのような事態を表現しているかを考えてメタ証明を行なうモデル理論的方法を使用している。これはポーランドで進められていた研究成果が1930年代に[[アルフレト・タルスキ]]によって紹介された。また集合論の研究が進んだことで、素朴な定義の諸問題が明らかにされており、いくつかの公理の組が提案されてきている。そのことで集合という概念に一つだけの定義を与えることは困難であり、現代の論理学も集合の概念の広がりを許容するさまざまな公理を採用している。1920年代から[[ルドルフ・カルナップ]]は現代の論理学の知見を物理学の理論の分析のために利用し、1950年代からは本格的に研究が進められている。
これらの論理学の大きな特徴のひとつは、アリストテレス以来の諸命題の関係を問う命題論理ではなく、主語と述語の関係を問う述語論理を扱うことである。また古典論理学では十分でなかった全称命題と単称命題の関係が[[量化子]]の導入によって明確にされた。
 
== 不完全性定理 ==
アリストテレスの論理学以来はじめて、論理学の世界に革命を起こしたのは20世紀初頭の[[バートランド・ラッセル]]である。彼は[[数学]]は論理学の一分科に過ぎないとする論理主義を提唱し、その著書『数学原理』 (Principia Mathematica)([[アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド]]と共著)において、述語論理の基礎法則を用いて、無から[[数学]]の全体系を再構築しようと試みた。この試みによって、形式論理学が数学において強力な道具になるということを示した。
 
ラッセルらの仕事を引き継いだのが[[ダフィット・ヒルベルト]]である。ヒルベルトは完全性と無矛盾性を併せもつような数学全体を導くためには、適切な[[公理]]系を見出すことが重要であることを明らかにし、それを見出そうと試みた([[ヒルベルト・プログラム]]、[[形式主義]])。
 
しかし[[1930年]]、[[クルト・ゲーデル]]によって[[ゲーデルの不完全性定理|不完全性定理]]が発見された。
これは「自然数論を含みかつ無矛盾である計算可能な公理系には、内容的には真であるが、証明できない命題が存在する」というものである(ゲーデル自身は弱い形で示したが一般化された)。
すなわち、二階述語論理より強い表現力をもつ公理系(これには算術体系が含まれる)においては、立証も反証もできない命題が必ず存在することが示されたのである。これによって、論理によって数学を体系化しようという、ラッセルやヒルベルトの野望は完全に潰えた。
 
== 論理学の分野 ==
* [[直観論理]]
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== 参考文献 ==
*ジョン・バーワイズ、ジョン・エチメンディ著、大沢秀介ほか訳『論理学の基礎と演習』慶應義塾大学出版会、2006年
*Carney, James, D. and Richard K. Scheer. 1974. Fundamentals of Logic. New York: Macmillan.
*Copi, Irving. 1978. Introduction to Logic. New York: Macmillan.
*Salmon, Wesley C. 1973. Logic. Englewood, Cliffs, NJ: Prentice-Hall.
 
== 関連項目 ==
3,372

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