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'''国民の父'''(こくみんのちち)は、多くの[[国家]]において、独立期や発展期に活躍した象徴的な人物や政治的な指導者を賞賛する際に使われる呼称である。英語からの訳語であるこの呼称のほか、似た概念を表す呼称として「'''祖国の父'''」、「'''国家の父'''」、「'''建国の父'''」、「'''独立の父'''」、「'''国父'''」があり、それぞれニュアンスが異なる。
 
== 各呼称のニュアンスの違い ==
「建国の父」や「独立の父」はもっぱら建国や独立そのものに多大な貢献をした人物を指す呼称だが、その他は必ずしもそうではなく、国家の発展に貢献した人物を指すこともある。「祖国の父」及び「国家の父」は後述の''pater patriae''の訳語として使われるほか、一般的な呼称としても用いられる。[[日本語]]や[[中国語]]では[[漢語]]の「国父」がしばしば使われる。「国父」は「藩主の父」を表す称号として[[島津久光]]が用いたが、後に"Father of the Nation"の訳語として使われるようになり、特に中国語からの影響で[[孫文]]を指す用例が最も多く、定着している。
 
== 概説 ==
その生涯から読み取られる[[英雄]]らしさや[[道徳]]的権威としてのありかたによって、こうした人物は国家や[[国民]]が[[国史]]を記述する際のキーパーソンにされ、[[愛国心]]の源に、また尊敬や崇拝の対象にされる。国父の[[肖像]]は国家の象徴となり、[[紙幣]]や[[切手]]、[[記念碑]]、あるいは地名や空港名、大学名などに使われる。いくつかの権威的な国家では、国父に対する[[カルト]]的な[[個人崇拝]]が確立されることもある。
 
[[古代ローマ]]の[[元老院_(ローマ)|元老院]]は、もっとも尊敬すべき市民に対し'''祖国の父'''(''pater patriae'')の称号を授与していた。[[マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロ]]は[[執政官]]として国家転覆の陰謀を未然に防いだことからこの称号を得たほか、有名なところでは[[ローマ皇帝一覧|歴代ローマ皇帝]]たちは長年皇帝として活躍した場合など、元老院からこの称号を贈られていた。皇帝の肖像の入った硬貨にしばしば「PP」と書かれているのはこの「pater patriae」の略である。
 
一旦「国父」とされた人物のすべてが永久に名声を維持するわけではなく、歴史の見直しなどによってその地位が揺らぐことがある。たとえば、[[ヨシフ・スターリン]]は、[[ソビエト連邦]]の指導者の地位にあった時代、数千万のソビエト人民の父として称える[[プロパガンダ]]がなされていた。彼が死んだ後、指導者スターリンのいない生活など考えられないし耐えられないと考えた国民が多かっただろうことは、後追い自殺が続発したことからも伺える。やがて彼が行った政治的抑圧が明るみに出て、後継者[[ニキータ・フルシチョフ]]による非難が行われ、[[ウラジーミル・レーニン]]と枕を並べて安置されていたスターリンの遺体は[[レーニン廟]]から撤去されるに至った。
 
他の例では、[[アイルランド]]独立運動の指導者で[[アイルランドの大統領|アイルランド共和国大統領]]を長年勤めた[[エイモン・デ・ヴァレラ]]が挙げられる。多くのアイルランド人は彼を国父と見ていたが、[[1980年代]]以降の歴史の再評価で、他の独立指導者([[マイケル・コリンズ_(政治家)|マイケル・コリンズ]]など)にスポットが当てられるに従い、デ・ヴァレラの評価は下がっている。