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当初、打撃投手の補助として一軍の練習に参加したところ、当時の監督の[[金田正一]]にその素質を認められ主力投手に抜擢された。以後はチームメイトの[[村田兆治]]と甲乙付けがたい直球を武器に[[1974年]]に[[最優秀新人 (野球)|新人王]]を獲得するが、ヒジを痛めて低迷。渡米し[[フランク・ジョーブ]]の診察を受け、日本人投手としては初めてヒジの手術を受けた。手術は成功したが球威を失い、低迷から抜け出せないまま[[1982年]]に引退した。
 
==通算 年度別投手成績 ==
{| class="wikitable" style="text-align: right;"
140試合登板 29勝28敗22S 382奪三振 171自責点 防御率3.50
![[年度]]!![[チーム]]!![[登板]]!![[完投]]!![[完封]]!![[先発]]!![[勝利]]!![[敗戦]]!![[セーブ]]!![[勝率]]!![[投球回]]!![[与四球]]!![[与死球]]!![[三振|奪三振]]!![[自責点]]!![[防御率]]
|-
|[[1974年]]||rowspan="8" style="text-align: center;"|[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]||31||1||0||7||6||5||4||.545||85.2||34||1||84||31||3.24
|-
|[[1975年]]||36||1||1||9||10||8||4||.556||125.2||52||1||99||49||3.50
|-
|[[1976年]]||28||9||1||14||6||7||6||.462||120.1||29||1||104||34||2.55
|-
|[[1977年]]||19||1||0||3||5||3||5||.625||50.1||12||1||50||13||2.34
|-
|[[1978年]]||12||0||0||1||1||3||2||.250||28.0||15||2||28||20||6.43
|-
|[[1979年]]||6||0||0||4||1||2||0||.333||18.1||11||0||7||17||8.50
|-
|[[1981年]]||4||0||0||0||0||0||1||----||5.2||1||0||4||2||3.00
|-
|[[1982年]]||4||0||0||0||0||0||0||----||6.0||0||0||6||5||7.50
|-
!colspan="2"|通算:8年
|140||12||2||38||29||28||22||.509||440.0||157||6||382||171||3.50
|}
 
==背番号==