「クニャージ・スヴォーロフ (戦艦)」の版間の差分

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== その後 ==
[[File:Russian 75 mm gun aboard Gromoboy.jpg|thumb|right|200px|一応、比較的使い勝手の良い兵装は搭載していた。]]
長く航海をするにあたり、途上でイギリスの漁船を日本艦艇と誤認して射撃するという事件を引き起こしたためイギリス政府により入港する港が制限された。また、艦の構造上[[スエズ運河]]を通過することが出来ず遠回りする形で移動し喜望峰を通過後に[[マダガスカル]]で合流する形になった。そして、[[インド洋]]や[[シンガポール]]に[[バシー海峡]]などを通過するに辺りやはり満足な整備が出来ず稼働率が著しく低下していた。やがて、[[中華人民共和国]]に最接近した際に[[上海]]で石炭を買うという一大計画が実行されようとしたがイギリスの煽りでやはり頓挫し石炭が不足したため。この結果、日本に近づいた地点で最短である[[対馬海峡]]を突破するという結論に至った。やがて、[[東シナ海]]などを航海するにあたって[[信濃丸]]に艦隊の位置が捕捉され翌日には[[日本海軍]]と一戦を交えることになる。元々火力戦に持ち越せば最強ではあったが当時の高い波により復元力が更に低下していたことが相まって真っ先に被害を受けた。丁字戦法が始まった地点ではまだそれほど被害を受けておらず逆にスヴォーロフが撃った砲弾で相次いで三笠や浅間などの日本の軍艦が相次いで大破したという。しかし、いずれも大破又は小破に至るも沈没するには至らなかった。使用していた火薬も黒色だったことから発射する度に黒煙が飛び出るため速射には不向きだったことも上げられる。やがて再び急接近した際には日本側に軍配が上がり忽ち相次いで下瀬火薬を用いた砲弾により被害を受けそのまんま使用していた塗料に引火し火災が発生した。次第に同型艦であるボロジノやインペラートル・アレクサンドル3世などが続々と炎上し落伍していった。砲撃がまり船足は6ノット近くまで低下した。やがて水雷戦隊や主力艦隊の挟撃を受け次第に機能を失い遂に横転し沈没した。この際ではあるが、味方の駆逐艦が随時接近し座乗していたジノヴィー・ロジェストヴェンスキー中将を救出するという離れ技を披露。その後、続々と艦隊を構成する軍艦は沈没していき翼28日に戦闘は終わった。唯一残されたオリョールだけは日本に捕獲され石見という名前に変えられて海防艦に格下げされながら余生を送ったという。現在は、引き揚げて砲艦としても使えそうだが残骸が見つかっていないため当分の間は実現しそうにない。
 
== 関連項目 ==