「マルシリオ・フィチーノ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
13行目:
彼はまた神話を天上の力の表現として貴び、その[[占星術]]的寓意的解釈に努めた。たとえば、[[ウェヌス]]を人間性そのもの、[[ヘルメス]]を最初(もしくは[[ゾロアスター]]に次ぐ第二)の哲学者にして神学者、[[サトゥルヌス]]を人を知的探求に没頭させる存在として彼の宇宙論の主要な霊魂に位置づけた。
 
[[ヘルメス文書]]([[錬金術]]の書と勘違いされる場合が多いが、フィチーノの訳した文書はそうではない)の翻訳や実践的な占星術の研究も行っており、『[[三重の生について]]』 (''De Vita Triplici'', 1489)では惑星の力によって健康を得るすべなどを示した。
 
厳格なキリスト教の立場からは異端ともみなされかねない思想であったが、フィチーノ自身は神話や[[魔術]]、プラトン哲学は[[キリスト教]]と一致するものと考えており、[[1473年]]には[[司祭]]に[[叙階]]された。また、[[1498年]]、[[ジロラモ・サヴォナローラ|サヴォナローラ]]を[[反キリスト]]として[[ローマ教皇庁]]に告発している。これは署名なしの文書によるが、作者はフィチーノと目されている。
 
1499年、フィレンツェ近郊のカレッジで死去。彼の功績は[[サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂]]に飾られた胸像とともに讃えられている。これは彼が同大聖堂の参事会員だったことも大きいであろう。
 
近年はルネサンスの芸術思想をはじめ、魔術思想、[[神秘思想]]の面など多方面で注目されてい思想家となった
 
== 関連項目 ==