「松平昌親」の版間の差分

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寛永17年(1640年)4月11日生まれ。幼名は福松、辰之助。初名は'''昌明'''。[[正保]]2年([[1645年]])、父である福井藩3代藩主の松平忠昌の死去時の遺言により、第4代藩主となった次兄の[[松平光通]]から2万5000石を分与されて、[[吉江藩]]を立藩した。同時に長兄の昌勝には[[松岡藩]]5万石が与えられた。<ref>昌勝と昌親は母親の身分が低く、次男だが嫡男は光通と定められていた。</ref>
 
吉江藩の歴史は昌明一代で終わるため、詳細は「[[吉江藩]]」の項目参照。藩主も幼く、財政や家臣団など、福井本藩から完全に独立した経営を行っていたわけではない。
 
のち昌明が福井本藩の藩主に就任すると、吉江の地は諸税が免除されたと伝わる。
 
=== 第5代藩主・松平昌親として ===