「秘仏」の版間の差分
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秘仏には、全く公開されない「絶対の秘仏」も一部にあるが、特定の日に限って公開(「御開帳」「開扉」などと称する)を行うことが多い。長野・[[善光寺]]の[[阿弥陀三尊]]像のように、本尊像は絶対の秘仏で、「御開帳」の際に姿を見せるのが「お前立ち」と称する代わりの像になっている場合もある。
秘仏の発生時期や要因については本格的な研究が進んでおらず、確かなことは
秘仏の発生には[[神道]]の[[神社]]からの影響があるものとする説もある。神社の本殿の扉もまた、普段は閉じられており、特定の祭祀の時にのみ扉が開かれる場合があるからである(他に[[神棚]]や[[祖霊舎]]もまた、普段は扉が閉じられており、特定の祭祀の時にのみ扉が開かれる場合がある)。神道の神は元来、姿の見えない神である。仏像彫刻の影響を受けて、平安時代初期頃から[[神像]]、つまり神道の神の彫像も作られるようになるが、これらは「御神体」として社殿の奥深くに秘められ、一般の人の目に触れることはなかった。
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秘仏を有する寺院は[[真言宗]]系、[[天台宗]]系に比較的多く、[[浄土教]]系、[[禅宗]]には比較的少ないことが指摘されている。尊像別では、[[密教]]寺院の本尊とされることが多い[[薬師如来]]や、[[観音菩薩]]([[十一面観音]]、[[千手観音]]、[[如意輪観音]]などを含む)、不動明王などが秘仏とされることが多いことから、密教との関連も指摘されている。
[[歓喜天]](聖天、象頭人身の男女が抱擁している姿に表
== 秘仏の分類 ==
=== 宗派別 ===
宗派別では、真言宗
浄土教系、禅宗系の寺院には秘仏は比較的少ない。ただし、これらの宗派に秘仏が皆無という
=== 像種別 ===
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=== 公開時期 ===
秘仏の公開時期には
*毎年春・秋などの一定の時期に比較的長く開扉されるもの(例:法隆寺の救世観音像、[[浄瑠璃寺]]の吉祥天像など)
*毎月1回決まった日に開扉されるもの(例:観音の縁日である毎月18日に開扉される、大阪・[[葛井寺]]の千手観音像など)
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日本文化史上重要と思われるいくつかの事例について略説する。
'''法隆寺夢殿本尊 観音菩薩立像(救世観音)'''-夢殿は、[[聖徳太子]]が営んだ斑鳩宮の跡に建てられた法隆寺東院の中心堂宇である。堂内中央の厨子に安置される救世観音像は聖徳太子等身の像と伝える飛鳥時代の木彫像であるが、各種史料によれば平安時代後期の12世紀には
'''信州善光寺本尊 阿弥陀三尊像'''-寺伝によれば、6世紀に[[百済]]の[[聖明王]]から当時の日本へ献上された日本仏法最初の仏像が、
'''東大寺二月堂本尊 十一面観音立像'''-東大寺二月堂は、大仏殿東方の山麓に位置し、「[[お水取り]]」の行事で知られる。「お水取り」は正式には修二会(しゅにえ)と言い、二月堂本尊の十一面観音に対してもろもろの罪や過ちを懺悔し、国家の安泰と人々の幸福を祈る行事である。二月堂内陣には大観音(おおがんのん)、小観音(こがんのん)と称する2体の十一面観音像が安置されるが、いつの時代からか両方の像とも厳重な秘仏とされ、「お水取り」の行事を執り行う寺僧もこれらの像を目にすることはない。寛文7年(1667年)の二月堂火災の際に損傷した大観音の光背のみは別途保管され、公開されている([[奈良国立博物館]]に寄託)。この光背は銅造で高さ226cmあり、破損が激しいが、全面に線刻で多くの仏菩薩の像が表
== 日本における著名な秘仏の一覧 ==
秘仏とされる仏像は日本各地に多く、本項でその
'''毎年、春・秋などの一定期間に開扉されるもの'''
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*園城寺 新羅明神坐像(国宝)特別展などで数回公開されたことがある。
*園城寺 不動明王像(黄不動、絵画、国宝)厳重な秘仏として知られ、寺では書籍等への写真掲載を厳しく制限している。特別展などで数回公開されたことがある。
*善水寺(滋賀)本尊 薬師如来坐像(重文)1949年、2001年に開扉された
*[[東寺]](京都)御影堂 不動明王坐像(国宝)学術調査以外に公開された記録なし。
*東寺(京都)御影堂 弘法大師坐像(国宝)運慶の4男、康勝作。学術調査以外に公開された記録なし。
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