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{{jdate}}/{{和暦}}をsubst展開/修正 (1873年以降、明治元-5年)。解説参照
近年日本ではこの菓子の名称が「ミルフィーユ」として広まり定着している感もあるが、これはフランス語では「千人の娘」(mille filles)を意味する発音となる。「ミルフイユ」の方が本来の「千枚の葉」を意味する発音に近い。
 
[[幕末]]から[[明治]]にかけて、フランス人のサミュエル・ペールが横浜で洋菓子店を営んでおり、ミルフイユが日本に伝わったのはその当時ではないかと考えられている。[[1870年]]([[明治]]3年){{jdate年代要検証|年号|1870}}、御所の饗宴用フランス菓子御用として出仕し、サミュエル・ペールの元で在官のままフランス菓子製造技術を学んだ村上光保が、{{jdate|[[1874}}年]]([[明治]]7年)にフランス菓子の製造と仕出しを行う村上開新堂を開業しており、同店では明治の後期にフランスの製法を研究し「ミルフェ」という商品名で販売も行っていた。
 
=== 千葉県とミルフィーユ ===