「クリオーリョ」の版間の差分

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以上のような観点から、クリオーリョは白人として、他の『有色人種』に対して優越した支配集団に属していた。しかし、クリオーリョとペニンスラールの間にはいくつかの亀裂も存在し、それがやがて両者の対立を深めていく原因にもなった。<br />
すなわち、ペニンスラールの中には、ヨーロッパ生まれの人間こそが優位であり、アメリカ生まれの人間は体格や知性で劣る、とする素朴な感情、あるいはその感情を基盤にした疑似科学的な言説を信奉するものが少なからず存在した。そうした偏見に基づいた言動は、時にはクリオーリョの感情を害し、さらには活動の妨げになることもあったため、クリオーリョの間にペニンスラールに対する反感を醸成する一助となった。<br />
また、18世紀に実施されたさまざまな行政改革(ブルン朝改革)は、本国王室の意図や命令が植民地社会で迅速に実施されることを企図したものであり、その実現に当たってはクリオーリョよりもペニンスラールが重用された。こうした政治領域に於けるペニンスラール優遇策も、クリオーリョとペニンスラールの間の亀裂を角田際させた。<br />
以上のように、同じイベリア人でありながら新大陸で生まれたという事だけで[[差別]]を受けたことは、クリオーリョたちにペニンスラール及び本国政府への反感を抱かせ、この反感が[[独立運動]]の動機のひとつになった。