「ガストン・ド・フォワ (ヌムール公)」の版間の差分

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国王ルイ12世の甥であり、また王妃[[アンヌ (ブルターニュ女公)|アンヌ・ド・ブルターニュ]]の従弟でもあったガストンは、[[1511年]]に21歳の若さでフランス軍の総司令官となり、[[カンブレー同盟戦争]](広義の[[イタリア戦争]])で活躍した。勇猛果敢な戦いぶりでフランス軍に数々の戦勝をもたらしたが、1512年4月11日に[[ラヴェンナの戦い]]で戦死した。フランス軍は戦闘には勝利したものの、総司令官の戦死によって士気が下がり、この勝利を戦略的に有効活用できないまま、結果的に退却を余儀なくされた。
 
{{先代次代|ヌムール公|1507年 - 1512年|(ルイ・ダルマニャック)|([[ジュリアーノ・デ・メディチ (ヌムール公)|ジュリアーノ・デ・メディチ]])}}
 
{{DEFAULTSORT:かすとん ふおわ}}