「松平仙千代」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Alexbot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 追加: ko:마쓰다이라 센치요
編集の要約なし
1行目:
'''松平 仙千代'''(まつだいら せんちよ、[[文禄]]4年[[3月13日 (旧暦)|3月13日]]([[1595年]][[4月22日]]) - [[慶長]]5年[[2月7日 (旧暦)|2月7日]]([[1600年]][[3月21日]]))は[[安土桃山時代]]の武家の人物。[[徳川家康]]の8男。母は側室の相応院([[お亀の方|亀]])で[[尾張徳川家]]始祖[[徳川義直]]の同母兄。'''徳川仙千代'''、'''平岩仙千代'''とも。
 
伏見で生まれ、4歳まで同地で暮らす。利発だったと伝えられている。[[松平信康|徳川信康]]の傅役で[[徳川十六神将]]の一人だった[[平岩親吉]]に嗣子がいないことを憂えた家康の配慮で、親吉の養嗣子になった。
 
養父親吉の移封に従い甲斐国甲府、[[慶長]]4年([[1599年]])大坂に移るも翌年歿。享年6。法名は高岳院殿華窓林陽大童子。墓は[[山梨県]][[甲府市]]、[[大阪府]][[天王寺区]]、[[愛知県]][[名古屋市]]の[[平和公園 (名古屋市)|平和公園]]の高岳院墓地にある。