「清宮四郎」の版間の差分

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'''清宮 四郎'''(きよみや しろう、[[1898年]][[5月23日]]- [[1989年]][[10月22日]])は、[[日本]]の[[憲法]][[法学者|学者]]。[[東北大学]][[名誉教授]]。[[従三位]][[勲二等]][[旭日章|旭日重光章]]。[[美濃部達吉]]門下。[[宮沢俊義]]とともに戦後の憲法学界をリードした。[[日本学士院]]会員
 
== 来歴 ==
埼玉県生まれ。[[1917年]](大正6年)、旧制豊山中学校(現・[[日本大学豊山中学校・高等学校]])を、14期生総代として卒業し、[[第一高等学校 (旧制)|旧制第一高等学校]]を経て、[[1923年]]に[[東京帝国大学]]を卒業する。[[1925年]]にヨーロッパに留学し、[[ハンス・ケルゼン]]の講義を聴く。[[京城帝国大学]]教授を経て、[[1941年]]、[[東北帝国大学]]教授。また、戦後は[[松本烝治]]を委員長とする[[憲法問題調査委員会]]の委員や[[獨協大学]]教授も務めた。
 
== 主要著作 ==
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[[Category:憲法学者]]
[[Category:法哲学者]]
[[Category:日本学士院会員]]
[[Category:東北大学の教員]]
[[Category:獨協大学の教員]]
[[Category:埼玉県出身の人物]]
[[Category:1898年生]]
[[Category:1989年没]]