「三井家」の版間の差分

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歴史
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== 歴史 ==
早川隆の著書『日本の上流社会と閨閥』52頁によると「三井財閥の先祖は[[伊勢]][[商人]]で慶長年間、[[武士]]を廃業した[[三井高俊]]が伊勢[[松阪]]に[[質屋]]兼[[酒屋]]を開いたのが起源という。[[三井家]]はもともと近江の国[[佐々木氏]]の家来で、先祖は[[藤原道長]]といっているが、このへんは後から[[系図]]を作ったのかもしれない。」という。
 
[[三井高利]]が[[伊勢国]]・[[松阪市|松阪]]から[[江戸]]へ出て[[呉服屋]]を出店したことから三井家の事業は始まる。その後、京で両替商も兼業し、[[江戸時代]]を通じて三井家の事業の柱となる。
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* 北家では、10代目高棟の次女(11代目高公の妹)が、[[摂家|五摂家]]の一つ・[[鷹司家]]に嫁いでいる。高公は4男1女をもうけたが、一人娘は[[浅野財閥]]の浅野八郎([[浅野総一郎|総一郎]]の弟)の次男に嫁いでいる。
* 伊皿子家高長は北家10代目高棟の三女と結婚し2男3女をもうけた。三女(博子)の夫は[[トヨタ自動車]]元社長の[[豊田章一郎]]である。
* 高長の弟・高勅は泉姓を名乗って分家したが、旧[[出羽国]][[秋田藩]]主・[[佐竹氏]]の分家である佐竹東家・[[佐竹義準]][[男爵]]の長女を娶った<ref name="昭和人名辞典">『昭和人名辞典 第1巻 東京編』</ref>。佐竹の次女は[[岩崎彦弥太]]に嫁いでおり、佐竹家を通じて[[三菱財閥|三菱]]と縁続きになった事になる<ref name="昭和人名辞典"/>。なお佐竹の長男・[[佐竹義利|義利]]の妻は[[日本の天文学者の一覧|天文学者]]・[[平山信]]の三女であるが<ref name="昭和人名辞典"/>、平山の弟子・[[萩原雄祐]]<ref>『現代天文学講座 別巻 天文学人名事典』</ref>も[[深井英五|深井家]]・小坂家を通じて本村町家と姻戚関係にあるので、平山・萩原の師弟はともに三井家と姻戚関係にあるといえる。
* 室町家高大の実父高従(高大養父で室町家11代目高精の兄)は[[徳大寺実則]]の娘を妻に迎えている。徳大寺は[[西園寺公望]]、15代目[[住友友純|住友吉左衛門]]の兄である。また高従の姉(室町家10代目高保の長女)は[[鴻池家]]に嫁いだ。
* 南家高陽の妻・正子は[[摂家|五摂家]]・[[公爵]][[一条実孝]]の娘だが、実孝の義姉(実孝は養子)は[[伏見宮|伏見宮家]]、[[閑院宮|閑院宮家]]、[[南部氏]]、[[鍋島氏]]、宇和島[[伊達氏]]などに嫁いでおり、南家はもっとも名家とのつながりの深い一族となった。
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== 考 ==
[[東京都]][[中野区]][[上高田]]に財団法人三井文庫がある。これは、三井家の膨大な社会経済史料を保管するために[[1965年]]に設立されたものである。[[1985年]]には同じ[[中野区]]上高田に博物館である三井文庫別館が開館した。同館は、[[2005年]]に[[中央区 (東京都)|中央区]][[日本橋室町]]の[[三井本館]]へ移転し「[[三井記念美術館]]」と改称された。北家(総領家)伝来品をはじめとする貴重な文化財が収蔵展示されている。
 
また、[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[西麻布]](旧・麻布笄町)にあった総領家三井八郎衛門高公邸([[1952年]]築)は、[[東京都]][[小金井市]]にある[[江戸東京たてもの園]]に移築され、一般公開されている。
 
== 脚注参考文献 ==
* [[中山茂]] 編 『現代天文学講座 別巻 天文学人名事典』 [[恒星社厚生閣]]、[[1983年]][[3月25日]]初版第1刷発行、284頁
<references />
* 早川隆 著 『日本の上流社会と閨閥』 [[角川書店]]、[[1983年]][[9月]]発行、52頁
* 『昭和人名辞典 第1巻 東京編』 [[日本図書センター]]、1987年[[10月5日]]発行、ISBN 4-8205-0693-5、831頁 - 832頁
 
== 脚注・出典 ==
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== 関連項目 ==