「上智大学グリーフケア研究所」の版間の差分

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== 日本における意義 ==
* 日本においては[[戦争]]や[[テロ]]などで死傷することはほとんどないが、1998年から2010年現在に至るまで連続して年間で30,000名を超える人たちが[[自殺]]をする極めて深刻な事態が続いている。その背景には、[[パワハラ]]や[[セクハラ]]や[[アカハラ]]などを伴い心身の[[健康]]を損なうほど長時間にわたる[[サービス残業]]など過酷な労働環境、失敗することや失敗から[[再チャレンジ]]することは許されない[[ビジネス]]上の慣行、[[債務]]の[[弁済]]を強要する[[債権回収]]者による過酷な取立て、ならびに[[学校教育]]現場においては[[携帯電話]]や[[インターネット]]などを悪用した陰湿な[[いじめ]]などがあげられる。その上、最新の[[情報技術]]を悪用し、[[ストーカーの対象とされた人物が確信的に自殺に追い込むような、陰湿で執拗なストーカー行為も行われている。

* 1990年代以降の我が国における[[大学院]]においては、「大学院生倍増計画」ならびに所謂「ポスドク1万人計画」などが実施れ実質的な学力が必ずしも伴わない[[大学院生]]が極端急増した結果[[博士号]]を取得したにも関わらず、大学や[[研究機関]]などにおいて研究職に[[就職]]することが極めて困難になっているため、約8~9%の博士号取得者や博士課程の大学院生らが[[失踪]]したり[[行方不明]]になっている。無論、全ての上記の者が自殺したとみなすことは不可能であるが、我が国における大学院生や[[ポスドク]]らの自殺率は、一般社会と比較するとかなり高率であることは事実である。

* 日本において自殺が「許容」されている(より深刻な場合は自殺することを事実上「強要」される)社会文化的背景として、日本においては[[ユダヤ教]]、[[キリスト教]]など、[[イスラム教]]という[[アブラハムの宗教]]が定着していないことが考えられる。すなわち、アブラハムの宗教では自殺は明確に禁じられているけれども、日本において定着している[[神道]]や[[仏教]]では必ずしも明確に自殺を禁じていないことが考えられる。そこで、[[カトリック]]系の大学である上智大学や聖トマス大学は、自殺を明確に禁止している[[キリスト教]]という立場から日本において自殺予防活動を積極的に行うことが社会的に求められている。無論、グリーフケア研究所がこの点で社会的に[[奉仕]]することは可能である。
 
* 国際的にみて、我が国のほかに[[自殺率]]が極めて高率である[[国家]]は、旧社会主義国である。また、1980年代までの我が国においては、本人の意思による[[離職]]や[[犯罪者]]になったりしない限り、特別な[[専門職]]や[[自営業]]や自由業などを除き、[[公務員]]だけではなく[[民間企業]]においても[[終身雇用]]が[[保障]]されていた。また、我が国においては、1989年までは[[消費税]]が導入されず、1987年までは全ての国民に[[マル優]]が適用されるなど、我が国においては「[[一億総中流]]」と称されるまで国民の間で不平等感をあまり抱かせることなく所得の再分配が機能し、実質的には社会主義的な社会経済システムであった。すなわち、社会主義的な環境においては、[[仕事]]やビジネスのあり方に関して自分で判断し意思決定を行わなくても、[[上司]]らの[[指導]]に忠実に従って仕事や[[活動]]などを行っていれば、人生は経済的に保障されていた。しかし、資本主義的な経済システムにおいては、自分の意思で[[人生設計]]やビジネスを構築することが求められている。もちろん、能力や才能がある者にとっては、資本主義的な経済システムは好ましい環境である。しかし、我が国における社会経済システムの急激な変化のなかで、旧来の実質的に社会主義的な社会システムという環境下において生きてきた者だけではなく、1990年代以降に生まれた若い世代においても、ビジネスにおいて失敗や[[挫折]]をしたら「恥」であり、自殺をしたくなるという[[認知]]システムを変容することが社会的に要求されている。形式的にも実質的にも資本主義国である[[米国]]においては、成功するまでにビジネス上の失敗や挫折に遭遇することは珍しくなく、それでも本人に能力や意欲があれば「再チャレンジ」を行うことが社会的・経済的に認められている。すなわち、我が国における社会経済システムを実質的な資本主義的なシステムに変容するならば、必ずビジネスにおいて失敗や挫折をする者が発生するため、もし彼らに能力や意欲があるならば、彼らに対しても[[再就職]]の機会など「再チャレンジ」の機会を提供することが、経済的な観点からみた我が国における自殺予防において重要であり、かつ貴重な[[人材]]の有効活用という観点においても有意義である。
 
== 上智大学における意義 ==