「イサベル2世 (スペイン女王)」の版間の差分

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フランスと結ぶモデラート党は、この結婚によってフランスとの関係を強固にし、自党の地位を安定させようと図ったが、スペイン・ボルボン家とフランス・ブルボン家の結びつきを警戒する[[イギリス]]は、[[スペイン1812年憲法|1812年憲法]]復活を目指す進歩党を支持するとともに、イサベルと[[ザクセン=コーブルク=ゴータ家]]との婚姻を進めようとしていたから、結果としてこの結婚は英仏間の関係を悪化させた。
 
また、イサベル姉妹たちにとっては、いずれも不幸な結婚であったと言われる。フランシスコには[[性的不能]]や[[同性愛者]]であるという評判があった。女王の子供は父親が違うと噂され、例えば、カルリスタは、後の[[アルフォンソ12世 (スペイン王)|アルフォンソ12世]]の父は近衛大尉エンリケ・プイグ・イ・モルトーであると主張した。
 
イサベルは12人の子供を生んだが、成人したのは4人のみである。