「フェリペ2世 (スペイン王)」の版間の差分

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[[1559年]]、フランス王[[アンリ2世 (フランス王)|アンリ2世]]の長女[[エリザベート・ド・ヴァロワ]](1545年[[4月2日]] - 1568年[[10月3日]])と結婚した。エリザベートの母は[[カトリーヌ・ド・メディシス]]であった。この結婚はスペイン・フランス両国で結ばれたカトー・カンブレジ条約によるものであり、エリザベートはもともとフェリペ2世の一人息子ドン・カルロスの[[婚約者]]であった。エリザベートは、[[イサベル・クララ・エウヘニア]]と[[カタリーナ・ミカエラ・デ・アウストリア|カタリーナ・ミカエラ]]の2女をもうけたが、彼女も[[1568年]]に死去した。なお、この年にはフェリペ2世と最初の妻マリアとの子ドン・カルロスも死去している。
  ちなみにフェリペ2世は、妻エリザベート・ド・ヴァロワと息子ドン・カルロスを[[毒殺]]したとして非難されている。
 
[[1568年]]、オーストリア・ハプスブルク家の[[アナ・デ・アウストリア]](1549年[[11月1日]] - 1580年[[10月26日]])と結婚した。彼女のドイツ語での呼称はアンナ・フォン・エスターライヒである。アンナの父、神聖ローマ皇帝[[マクシミリアン2世 (神聖ローマ皇帝)|マクシミリアン2世]]はフェリペ2世と同年生まれの従弟であり、母[[マリア・デ・アブスブルゴ|マリア]]はフェリペ2世の妹であるという関係から、2人は[[伯父]]と[[姪]]の結婚となるため、[[教皇|ローマ教皇]][[ピウス5世 (ローマ教皇)|ピウス5世]]が当初反対した経緯がある。彼女とは4人の息子と1女(マリア)をもうけたが、フェリペ以外のいずれの子供も夭折した。
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