「アルフォンソ・デ・カスティーリャ」の版間の差分

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1464年、アルフォンソに[[アストゥリアス公]]の称号が贈られた。カスティーリャ王位継承者の称号であり、すでにフアナに授けられていたが、エンリケ4世もこれを認めた。その後、アルフォンソは「[[カスティーリャ]]王'''アルフォンソ12世'''」として[[対立王]]に推戴され、内乱が起こったが、1468年にアルフォンソは14歳で病死した。
異説では毒入りの[[鰻]]を供されて[[毒殺]]されたという。
 
アルフォンソの死後、代わって姉イサベルを推戴する動きがあったが、イサベルはエンリケ4世の生前には王位の請求を拒否した。1474年にエンリケ4世が死去すると、イサベルは貴族の支持を得て王位につき、フアナは[[ポルトガル王国|ポルトガル]]へ逃れた。
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