「エンリケ4世 (カスティーリャ王)」の版間の差分

 
[[1455年]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル]]王[[ドゥアルテ1世 (ポルトガル王)|ドゥアルテ1世]]と王妃[[レオノール・デ・アラゴン (ポルトガル王妃)|レオノール]]の王女で自身にも先妻にも従妹にあたる[[フアナ・デ・ポルトゥガル|フアナ]]と結婚した。エンリケ4世は彼女に対しても手を出さなかったため、子供をもうけるため[[人工授精]]が行なわれて王女フアナが生まれた。しかし王妃フアナは愛人ベルトラン・デ・ラ・クエバ(<span lang="es">Beltrán de la Cueva</span>)を連れ込んでいたため、王女は[[フアナ・ラ・ベルトラネーハ]]と呼ばれるようになった。<!--Townsend Miller(誰?)は、彼女の父親が誰であるかは判らないとしている。-->王女フアナの王位継承者の資格についての疑問、王の柔弱、王妃の不義、貴族たちの台頭は、エンリケ4世の死後の紛争の火種となった。
実際エンリケ4世は[[寵臣]]ベルトラン・デ・ラ・クエバら青年たちと睦まじい関係にあったと言われている。
 
[[1474年]]、エンリケ4世は[[マドリード]]で死去した ( 宴席で急に腹痛を訴えて死んだため[[毒殺]]と噂された ) 。それを受け、アラゴン王太子妃となっていたエンリケ4世の異母妹[[イサベル1世 (カスティーリャ女王)|イサベル]]とポルトガル王妃となったフアナはともに即位を宣言した。イサベル支持派とアラゴンの連合軍はフアナ支持派とポルトガルの連合軍を破り、イサベルが王位を嗣いだ。
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