「人身御供」の版間の差分

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[[アステカ]]人は「[[太陽]]の不滅」を祈って、人間の新鮮な[[心臓]]を[[神殿]]に捧げた。ほかに豊穣、[[雨乞い]]を祈願して、捧げられることもあった。しかしその一方では、これら生贄に捧げられる事が社会的にも名誉であると考えられていたとされ、[[球技]]によって勝ったチームが人身御供に供されるといった風習も在った模様である。
 
生贄は石の台にのせられ四肢を押さえつけられ、生きたまま[[黒曜石]]のナイフで心臓をえぐり取られたとされる。生贄の多くは戦争捕虜で、生贄獲得のための花戦争も行われた。選ばれた者が生贄になることもあり、[[稚児]]が神に捧げられることがあった。ただ、一説によればアステカはこのような儀式を毎月おこなったために生産力慢性的に低下し、社会が弱体化、衰退したとも言われている。
 
[[インカ帝国|インカ]]でも、同種の[[太陽信仰]]に絡む人身御供を行う風習があったが、これらの生贄は社会制度によって各村々から募集され、国によって保護されて、神への供物として一定年齢に達するまで大切に育てられていたという。なおこれらの人々は旱魃(かんばつ)や飢饉などの際には供物として装飾品に身を包んで泉に投げ込まれるなりして殺された訳だが、そのような問題が無い場合には生き延び、一定年齢に達して一般の社会に戻った人も在ったという。ちなみに[[マヤ文明]]の[[遺跡]]で有名なククルカンの神殿と聖なる泉は、干ばつになった時の生け贄の儀式と関係があった。[[日照り]]は雨の神ユムチャクの怒りによるものだと考えられていたため、14歳の美しい処女を選び、少女は美しい花嫁衣裳を身にまとい、儀式の後、聖なる泉に生け贄を護衛するための若者が飛び込み、その後貢物も投げ込まれていた。[http://members3.jcom.home.ne.jp/dandy2/works/works_14_m.html]
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