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'''新庄 直彪'''(しんじょう なおとら)は、[[常陸国|常陸]][[麻生藩]]の第13代[[藩主]]
 
天保10年(1839年)、第12代藩主・新庄直計の五男として[[江戸]]で生まれる。4人の兄が早世したために世子となり、[[弘化]]2年([[1845年]])の父の死去により[[家督]]を継いで第13代藩主となる。
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嘉永6年([[1853年]])の[[マシュー・ペリー|ペリー]]来航では、江戸幕府に対して開国拒否論を提言する。[[安政]]2年([[1855年]])12月16日、従五位下・駿河守に叙位・任官する。安政5年([[1858年]])5月に大火による大被害を受けた。[[元治]]元年([[1864年]])、[[天狗党の乱]]で[[水戸藩]]の抗争を鎮圧する功績を挙げた。
 
慶応元年(1865年)7月4日に急死する。享年27。を長男・[[新庄直ハツ|直𩑛]]が継いだ。
 
{{麻生藩主|13代|1845- 1865}}
 
{{DEFAULTSORT:しんしよう なおとら}}
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[[Category:江戸の大名]]
[[Category:外様大名]]
[[Category:幕末の大名]]
[[Category:1839年生]]
[[Category:1865年没]]