「市川團十郎 (初代)」の版間の差分

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[[狂言|狂言作者]]としても'''三升屋兵庫'''(みますや ひょうご)の名で活躍し、『参会名護屋』などの作品を残している。初期の荒事が歌舞伎のなかに定着してゆく過程において、團十郎が役者と作者を兼ねた<!--[[演出家]]--><!--当時の役者はみな演出家-->ことは、市川家の荒事芸が独自の性格を持つことに繋がった。
 
元禄17年2月19日(1704年3月24日)、市村座で『わたまし十二段』の佐藤忠信役を演じている最中に、役者の生島半六に舞台上で刺殺された。享年45。一説には、生島の息子が団十郎から虐待を受けていたためおり生島は団十郎を恨んでいたとも言われるが、明確な証拠はなく、この事件の真相は現在も不明である。
 
== 関連項目 ==