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[[File:Kunimatsu Hamada and Yukio Ozaki.jpg|thumb|250px|left|尾崎行雄を尋ねる濱田]]
議員生活の最後まで[[自由主義]]・反[[ファシズム|ファッショ]]の姿勢を貫き[[粛軍演説]]やのちに[[反軍演説]]を行った[[斎藤隆夫]]、[[人民戦線事件]]で検挙される[[加藤勘十]]とともに反ファシズムの書籍を出す。
昭和12年([[1937年]])には[[寺内寿一]][[陸軍大臣]]との間で「[[腹切り問答]]」を繰り広げ、軍部の政治への干渉を厳しく批判する。この時濱田は70歳、議員歴30年、前衆院議長。軍部の政治への容喙がそろそろ顕著になりはじめていた当時にあって政党政治家の気骨を見せつけたのがこの割腹問答だったが、これが原因で時の[[廣田内閣]]は崩壊、軍部支配への流れは結果的に加速化することになった。
 
== 著作 ==