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[[紀元前335年]]、[[ピリッポス2世]]の暗殺に乗じてマケドニアに対して武装蜂起した[[テバイ]]との戦いで、陣営警備の任に当たっていた時にペルディッカスはアレクサンドロスの命令を待たずに敵の防柵に攻撃をかけ、他の部隊もそれに加わって大規模な戦いになった。ペルディッカスはテバイ軍の前哨部隊を撃破したが、敵の第二陣への攻撃の際に負傷し、後方に移された<ref>ibid, I. 8</ref>。その後、テバイは陥落した。また、アレクサンドロスの北伐にもペルディッカスは参加し、王の指揮下で[[グラウキアス]]と[[クレイトス (イリリア王)|クレイトス]]を夜襲して破った<ref>ibid, I. 6</ref>。
 
ペルディッカスはアレクサンドロスの東征に参加し、[[グラニコス川の戦い]]、[[イッソスの戦い]]、[[ガウガメラの戦い]]といった主要な会戦でペルディッカスは[[重装歩兵]]部隊を指揮した<ref>ibid, I. 24, II. 8, III. 11</ref>。また、[[ソグディアナ]]や[[インド]]では別働隊を任されるなど、ペルディッカスは王の信頼篤い重臣の一人でもあった<ref>ibid, IV. 16, 22, VI. 9</ref>。[[紀元前326年]]の[[ヒュダスペス川の戦い]]ではペルディッカスは騎兵の一隊を率いた<ref>ibid, V. 12</ref>。
 
[[紀元前325年]]の[[マッロイ人]]との戦いではペルディッカスは別働隊と共に他のマッロイ人の町に分遣され、町を放棄して逃げた敵に追い討ちをかけて多数を殺傷した<ref>ibid, VI. 6</ref>。そして、[[紀元前324年]]に[[ヘファイスティオン]]が病死した際には[[ヘタイロイ]]の指揮官の地位を引き継ぎ、同時に[[千人隊長]]の任に就いた。また、同年[[スサ]]にて開催された集団結婚式で、ペルディッカスは[[メディア王国|メディア]][[太守]]で[[ペルシア]]貴族の[[アトロパテス]]の娘を娶った<ref>ibid, VII. 4</ref>。