「曹洪」の版間の差分
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曹操が[[司空]]に任命されると、世間に模範を示すために、毎年の税収のときに本籍の県令に自分の資産を調べさせることにした。譙県の県令が、曹操の資産は曹洪の資産と同等であるという報告をすると、曹操は「私の財産が子廉の財産と同じはずはない」と言ったという(『魏略』)。
[[200年]]の[[袁紹]]との[[官渡の戦い]]では兵糧などの後方補給などで曹操を常に補佐した。[[徐晃]]と共に
曹操が烏巣を攻撃した後にその留守を懸命に守り、袁紹の武将の[[張コウ|張郃]]、[[高覧]]らの攻撃を防御した。張郃らが降伏を申し入れてくるとその意図を疑ったが、[[荀攸]]の助言によりこれを受け入れた(「荀攸伝」)。
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