「海と毒薬」の版間の差分

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しまあじ (会話 | 投稿記録)
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==批判・評価==
{{出典の明記|section=1|date=2008年1月}}
現実の歴史を顧みれば倫理的規範が集団的心理に押し流されて残虐行為に至ってしまう例は日本に限ったことではなく、キリスト教国を含めた他の国にも同様に見られることである。それにもかかわらずキリスト教徒は 『倫理的な規範を根本的な原理に入れている』 とし、日本人は 『倫理規範ではなく集団心理と現世利益で動く』 と決め付けているに等しい遠藤の主張は、日本と日本人の精神の存在を軽視し否定するキリスト教優越主義・欧米優越主義に他ならず、また日本人を過度に[[ステレオタイプ]]化するきわめて悪質な([[日本人論]])と見ることもできる。
 
しかしその一方で、遠藤の問題意識からこの作品を解放し、より普遍的次元で捉えるべきとする意見も一部にある。即ち遠藤の日本人/クリスチャンの二項対立を退けながらも、平凡な人間とは薄弱な倫理的規範よりも集団心理(空気)に流されて残虐な行為をしてしまうものだということを鮮やかに描き出したという点においては作品は評価されるべきという意見もある。
 
「海と毒薬」発表後、遠藤は、この作品の第2部を執筆することを随所で示唆していたが、結局それは果たされなかった。小説発表後、事件の関係者の中には、遠藤が作品によって彼らの行為を断罪しようとしたのだと考え、そのことに対して遠藤に抗議の手紙を送った者もいた。こうした抗議に対して、遠藤は大変なショックを受け、その心中を実際に随筆等で吐露している。第2部を断念したのは、こうした抗議とは無関係ではないだろうと考えられている。<ref>「海と毒薬」新潮文庫版・[[佐伯彰一]]による「解説」 [[1971年]][[10月]]</ref>作品中に登場する勝呂医師は同氏の作品「[[悲しみの歌]]」において新宿の開業医として再登場している。