「金聖愛」の版間の差分

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この後、金聖愛は故郷に戻り、金日成は生活費を仕送りしていた。朝鮮戦争が終わると、彼女は[[平壌]]に戻り前妻の子である[[金正日]]・[[金敬姫]]とともに暮らした。彼女はこの二人に対して、実の親のように振舞ったと言われる。これは金日成の母が助言したためと言われている。
 
その後、彼女は[[金平一]]、[[金英一]]、[[金慶真]]の三人を金日成との間にもうけた。1969年1月、朝鮮労働党中央女性同盟委員長に就任。1970年代に入り組織の拡大とともに自らの地盤を固めると金聖愛は自分の子供を彼の後継者にする為に金正日と対立。また金日成の弟である[[金英柱]]とも後継問題で対立した。しかし[[朝鮮労働党中央女性同盟]]による数々の越権行為や不正が明らかになったことから1973年金聖愛は一切公式の場所に出ることを禁じられ警告とともにジャモ山の別荘へ送られた。また追随した人間は農村や鉱山に追放された<ref>李友情著「金正日入門」より</ref>
 
== 出典 ==
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