「梁塵秘抄」の版間の差分
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『'''梁塵秘抄'''』(
==経緯==▼
▲== 経緯 ==
後白河法皇は少年のときより、今様と呼ばれる歌謡を好んだ。歌の上手を召して多くの歌謡を知ったが、死後それらが伝わらなくなることを惜しみ、書き留めて本にした。また、歌謡の歴史などについて、別に口伝集十巻を残した。
書名の「梁塵」は、名人の歌で梁の塵も動いたという故事より、すぐれた歌のこと。
== 伝来 ==
『梁塵秘抄』の名は『[[徒然草]]』第十四段に見える。また『[[本朝書籍目録]]』に二十巻と書かれている。しかし、近代までは口伝集巻第十が『[[群書類従]]』に収められたのみで、他の部分は失われたと考えられていた。
だが明治44年、[[佐佐木信綱]]らによって巻第二、巻第一と口伝集巻第一の断片、口伝集の巻第十一~第十四が発見された。大正から昭和にかけて、佐佐木信綱の校訂による本が[[明治書院]]と[[岩波書店]]から刊行される。したがって『梁塵秘抄』の中の歌が一般に知られたのは比較的新しいことである。
== 構成と内容 ==
『梁塵秘抄』はもと本編十巻、口伝集十巻だったとみられている。しかし現存するのはわずかな部分のみである。また、口伝集の巻第十一以降については謎がある
[[ファイル:今様4880.JPG|thumb|200px|今様の碑、仏は常にいませども・・・・、永観堂内、京都市東山区]]
===本編===▼
▲=== 本編 ===
本編は、巻第一の断簡と、巻第二しか知られていない。歌の数は巻第一が21首、巻第二が545首、あわせて566首である。ただし重複があるので実際の数はもう少し減る。巻第一の最初には「長唄10首、古柳34首、今様265首」とあるので、完本であれば巻第一には309首が収められていたことになる。
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のように艶っぽいものもある。
=== 口伝集 ===
口伝集は各ジャンルの歌に関して書きつづったものだと考えられている。現存するのは巻第一のほんのわずかと、巻第十、それに巻第十一~第十四のみである。
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現在発行されている古典全集の多くは巻第十一以降を省き、口伝集の巻第一と巻第十のみを収めている。巻第十一以降を見ることができるのは、一般的には岩波文庫だけである。たしかに巻第十一~第十四の内容は難解であり、全集に収めてもあまり意味がないかもしれない。しかし、解説にさえもこれらに関する記述が一言もなく、岩波文庫版を先に見たものは不自然に感じる。これは巻第十一以降研究の難しさを表しているのかもしれない。
== 各巻の内容 ==
=== 本編 ===
===
====巻第一====▼
21首のみ残る。
==== 巻第二 ====
545首残る。写本は一冊のみ現存する。
==== 巻第三~巻第十 ====
欠巻
=== 口伝集 ===
▲==== 口伝集 巻第一 ====
文庫版にして2ページほどしか残っていない。神楽・催馬楽・風俗・今様の起源について語る。
==== 口伝集 巻第二~巻第九 ====
欠巻。
娑羅林・只の今様・片下・早歌・初積・大曲・足柄・長歌・田歌などについて書かれていたらしい。
==== 口伝集 巻第十 ====
撰者、後白河法皇の今様への関わり。いわば今様バカ一代としての後白河法皇の半生記である。十代の頃から今様を好み、昼夜問わず歌いまくり、歌の上手がいると聞けば召して聞き、歌いすぎで三度も喉をつぶしたという。その執心にはあきれるのを通り越して感動さえ覚える。まして、政治的には大変な時代であり、しかもその中心にいた後白河法皇その人の事績であると考えると、驚嘆せざるを得ない。
==== 口伝集 巻第十一~巻第十四 ====
前述の通り、もとは別の書であったと考えられている。歌い方の心得や、音律や拍子などが記されているようであるが、一般人には(おそらくは専門家でも)解読は難しい。
== 校注文献 ==
*『梁塵秘抄・[[閑吟集]]・[[狂言]]歌謡』 小林芳規・武石彰夫校注
: <[[新日本古典文学大系]]56>[[岩波書店]]、1993年
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*『新訂 梁塵秘抄』 [[佐佐木信綱]]校訂 [[岩波文庫]]
== 関連人物 ==
*[[西郷信綱]] - 著書のある国文学者、(新版が[[ちくま学芸文庫]])
*[[小西甚一]] - 同上
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*[[桃山晴衣]] - 「梁塵秘抄」を現代に蘇らせて唄っている邦楽歌手。[[青土社]]で「梁塵秘抄うたの旅」
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[[Category:仏教文学]]
[[en:Ryōjin Hishō]]
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