「ヨハネス12世 (ローマ教皇)」の版間の差分
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== ローマ教皇として ==
苦労知らず、世間知らずな若者であったヨハネス12世は、教皇になったあと、周辺の事情も考えずに無謀な[[教皇領]]拡大に乗り出して
[[ファイル:Otto I begegnet Papst Johannes XII.jpg|left|thumb|250px|オットー1世と会見するヨハネス12世(14世紀の描画)]]
オットー1世は新たに教皇領を[[寄進]]したが、同時に「皇帝に忠誠を宣誓してからでなければ教皇職には叙任されない」と定めた。ここに至ってオットーに反意を抱いたヨハネス12世は今度は旧敵ベレンガーリオと手を結んだが、これはオットー1世の臣下によって事態が露見した。ここに至って教会内部でもヨハネス12世に対して反発の声があがり、不満を持つ者も多く現れて、[[963年]]、ヨハネスは皇帝オットー1世によって
後任の教皇として、レオ([[レオ8世 (ローマ教皇)|レオ8世]])が即位した。
== ヨハネスの急死と「鉄の世紀」 ==
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