「ロイト (自動車)」の版間の差分

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1950年、グループ内に"Lloyd Motoren Werke GmbH"が設立され、ロイトの名は超小型乗用車・商業車のブランドとして復活する。最初の製品「ロイトLP300」は木骨に布を張ったボディを持っていたが、1954年に「ロイトLP400」が登場するまでに、徐々にスチール製車体に切り替わっていく。ドイツの旧軽免許保持者(250cc以上の車は運転できない)向けの、ロイト250(11馬力)も作られた。
 
こうした小さく安いロイト車は[[第二次世界大戦]]に破れ、敗戦で疲弊の極にあった当時の西ドイツ社会にはマッチしており、かつロイト各車は前輪駆動方式の採用などにより比較的快適性・信頼性が高かったことから人気を博した。1950年代には[[フォルクスワーゲン]]・[[オペル]]に次ぐ西ドイツ国内第3位の販売実績を記録した。LP400は日本にも[[安全自動車]]が総代理店となって数台が輸入され、[[鈴木自動車]]が最初に開発した1955年の[[スズキ・スズライト|スズライト]]の設計に大きな影響を与えた。
 
LP400は日本にも[[安全自動車]]が総代理店となって数台が輸入され、[[鈴木自動車]]が最初に開発した1955年の[[スズキ・スズライト|スズライト]]の設計に大きな影響を与えた。また[[富士重工業]]も1958年発表の[[スバル・360]]の開発に際し、近似クラスであるLP400のパワーユニットを試作段階でのテスト用に利用している。日本の[[軽自動車]]開発の歴史に影響を与えたモデルと言える。
その後1959年には水平対向4気筒の[[ロイト・アラベラ|アラベラ]]を発売、西ドイツ経済の安定を背景により上級クラスへの移行を目指したが、初期トラブルが多発したこともあって販売は軌道に乗らなかった。
 
その後1959年には水平対向4気筒エンジン搭載前輪駆動モデル、[[ロイト・アラベラ|アラベラ]]を発売西ドイツ経済の安定を背景により上級クラスへの移行を目指したが、エンジンや変速機等の初期トラブルが多発したこともあって販売は軌道に乗らなかった。
[[ボルグワルド|ボルクヴァルト・グループ]]が1961年に経営破綻し、ロイトの名は姿を消したが、最後のモデル、[[ロイト・アラベラ|アラベラ]]のみは「ボルクヴァルト・アラベラ」の名で1963年まで生産が続行された。
 
[[ボルグヴァ|ボルクヴァルト・グループ]]が1961年に経営破綻し、ロイトの名は姿を消したが、最後のモデル、[[ロイト・アラベラ|アラベラ]]のみは「ボルクヴァルト・アラベラ」の名で1963年まで生産が続行された。
 
主なロイト各車の生産台数は、300系が18,087台、400系109,878台、250系3,768台、600及びアレキサンダー系176,524台、アラベラ系47,549台である。