「広州湾租借地」の版間の差分

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'''広州湾租借地'''(こうしゅうわんそしゃくち、英語では Kwangchowan Leased Territory) は、[[1899年]]–[[1945年]]に[[フランス]]が南中国の[[雷州半島]]北東部に[[租借地|租借していた地域]]。現在の[[広東省]][[湛江]]に当る。
 
== 起源 ==
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== 変遷 ==
フランスは広州湾の中心地にバヤール要塞(Fort (Fort Bayard) を築き、イギリスの[[香港]]に相当する対中貿易・投資の拠点とした。1940年[[第二次世界大戦]]によってパリが独軍に陥落し、フランスが[[シャルル・ド・ゴール|ド・ゴール]]将軍の[[自由フランス]]と[[フィリップ・ペタン]]元帥の[[ヴィシー政府]]に分裂すると、中華民国は自由フランス亡命政府と外交関係を樹立したため、広州湾租借地は自由フランスの管轄下に入った。しかし、日本は1943年ヴィシー政府との間に「広州湾共同防衛協議」を締結してこの地域を占領、広州湾租借地は日仏共同管理下に置かれた。自由フランス政府や中華民国政府はこれに関知しておらず、1945年8月日本軍が無条件降伏すると直ちにフランス政府は広州湾租借地を中華民国に返還、中国はこの地を湛江市と改称した。
 
== 現在 ==
広東省湛江(Zhanjiang (Zhanjiang) 市内には現在もフランス租借地時代の洋風建築が残り、観光地となっている。
 
== 外部リンク ==