「Dance Dance Revolution」の版間の差分

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DanceDanceRevolutionの初期においては楽曲を洋楽中心として収録することになるが、その洋楽曲について当時コンピレーションアルバムの売上げが一番高かったという理由により、[[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]](現EMIミュージック・ジャパン)の'''[[ダンスマニア|Dancemania]]'''シリーズとタイアップを行った<ref>[http://www.konami.jp/bemani/ddr/jp/am/ddr/ddr_dev.html DanceDanceRevolution公式ホームページ内(2010年10月28日閲覧)]</ref>。この事により、多数のDancemaniaアーティストの楽曲がDDRに収録され、DDRはこのレーベルシリーズと共に出発。現在でも[[Smile.dk|SMILE.dk]]のButterfly等、DDRに収録されたことで認知度が上がった曲も多い。楽曲の派手さや筐体の派手さで当時は異彩を放っていたDDRは多数のロケーションに設置されることになり、多くのメディアで紹介され一大ムーブメントを巻き起こした。クリアやハイスコアを目指すプレイはもちろんだが、特筆すべき点は単純なルールゆえ体の拘束が少ない故、プレイの自由度が高いという事である。この事により他のゲームでは見られない'''パフォーマンスプレイ'''というプレイスタイルも定着した。ある者は曲の雰囲気を出すため、ある者はタイトル通りプレイ中にダンスを行ったり、画面に背を向けてプレイしたり、2人プレイで突然左右のプレイヤーが入れ替わったりといった様々な形でプレイヤー達は全身を使ってプレイしてきた。今日でもDDRはスコアスキルを重視する大会の他、パフォーマンススキルを重視したゲーム大会も並行して行われている。最たるものはコナミ主催で[[1999年]][[9月26日]]にZepp東京で開催された、'''Dance Dance Revolution King Of FreestyleDancers<ref>[http://www.konami.co.jp/press/1999/r.11.07.22.html コナミプレスリリース・1999年7月22日(2010年10月28日閲覧)]</ref>'''である。全国で行われた予選を勝ち抜いたパフォーマーたちが集まりその腕を競い合うという大会で、ある者はトロンボーンを吹きながら、またある者は踊りながら全身で文字を描くなど、様々なパフォーマンスを行う異色の大会となった。
 
その後多数の作品、派生シリーズをリリース。Dance Dance Revolution 5thMIXではオーデションを行い、'''BEMANIシリーズから初の女性ボーカルユニット[[BeForU]]'''が誕生した。しかしかつての隆盛を取り戻すことができず、作品のブームは徐々に衰退。アーケードメインシリーズは2002年リリースの'''Dance Dance Revolution EXTREME'''をもっひとまず終止符を打つことにになった。
 
アーケード版のリリースは一旦終了したものの国内・海外共に家庭用ではリリースが続いていた。特に海外では根強い人気が続いており、[[マラソン]]や[[ジョギング]]の様な'''[[フィットネス]]'''のような効果もあるということで注目された。