「ジュルジェヴダン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
m編集の要約なし
11行目:
 
[[Image:Djurdjevi stupovi 016.jpg|290px|thumb|right|[[セルビア]]、[[スタリ・ラス]]にある[[ジュルジェヴィ・ストゥポヴィ修道院]]。聖ゲオルギオス(聖ゲオルギイ、聖ジョルジェ)を記念して12世紀にセルビアの王[[ステファン・ネマニャ]]によって建てられた正教会の修道院である]]
「ジュルジェヴダン」はセルビアの楽曲の名としてもよく知られている。この曲はロマ民謡「[[エデルレジ (曲)|エデルレジ]]」のカバー曲であり、[[ユーゴスラビア]]の[[ロック・バンド]]、[[ビイェロ・ドゥグメ]]([[:en:Bijelo dugme|Bijelo dugme]])によって[[1988年]]に発表された。この他に[[ゴラン・ブレゴヴィッチ]]によるものなども知られる。
 
[[ボスニア・ヘルツェゴヴィナ]]では、主要な宗教的祭日は、信仰を違える者も含めて全ての民族で祝福されているが、[[ユーゴスラビア社会主義連邦共和国]]の崩壊、[[ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争]]の中で、宗教的祭日が、宗教の違い・民族の違いを示す指標となり、民族主義的なアピールに利用されるようになると、そうした伝統は衰えた。[[ローマ・カトリック教会]]のクリスマス、[[正教会]]のクリスマス、そして2つの[[イスラム教]]の祝日は全ての民族で認知されており、ジュルジェヴダンも同様に、[[正教会]]と関連が強く、したがって[[セルビア人]]の祭日とみなされていたが、宗教の異なる他の民族でもこの日を祝う習慣がある。[[メシャ・セリモヴィッチ]]([[:en:Meša Selimović|Meša Selimović]])の小説「死と[[ダルヴィーシュ]]」では、熱心な[[ムスリム]]の主人公がこの祝日を危険な異教の残滓だと主張するが、物語の終わりに街で全ての民族がこの日を祝う(この街は[[サラエヴォ]]であるといわれている)。
 
「ジュルジェヴダン」はセルビアの楽曲の名としてもよく知られている。この曲はロマ民謡「[[エデルレジ (曲)|エデルレジ]]」のカバー曲であり、[[ユーゴスラビア]]の[[ロック・バンド]]、[[ビイェロ・ドゥグメ]]([[:en:Bijelo dugme|Bijelo dugme]])によって[[1988年]]に発表された。この他に[[ゴラン・ブレゴヴィッチ]]によるものなども知られる。
 
== 脚注 ==