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[[File:Reagan assassination attempt 3.jpg|right|350px|thumb|レーガン大統領暗殺未遂事件の発生直後]]
'''レーガン大統領暗殺未遂事件'''(レーガンだいとうりょうあんさつみすいじけん、{{en|Reagan assassination attempt)attempt}})は、[[1981年]][[3月30日]]に、[[ワシントンD.C.]]で[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ロナルド・レーガン]][[大統領]](当時)が銃撃された事件である
 
== 概要事件の経緯 ==
=== 動機 ===
[[File:President Reagan being sworn in on Inaugural Day 1981.jpg|right|220px|thumb|就任式でのレーガン大統領(左)]]
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後にレーガンは演説中、飾りつけの風船が破裂すると「奴は、またしくじった」とジョークを飛ばし、聴衆を大いに沸かせた。
 
== その後 ==
== 裁判 ==
ヒンクリーは[[1982年]]の[[裁判]]では13の罪で起訴されたが、[[6月21日]]に精神異常が理由で[[無罪]]となった。弁護側の[[精神医学]]上の報告書では「ヒンクリーが精神異常」であると報告したが、検察当局の報告書は彼を法律上健全であると宣言した。
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この判決を受けて、ヒンクリーはワシントンD.C.のセント・エリザベス病院で拘束された。その後ヒンクリーは両親の監督下に[[1999年]]に退院を許可され、[[2000年]]には監督なしでの釈放が許可された。しかしこれらの権利はヒンクリーがフォスターに関する資料を密かに病院に持ち込んでいたことが判明し無効となった。
 
== その後 ==
=== 支持率向上 ===
[[File:James-Brady-August-2-2006.jpg|right|220px|thumb|ジェームズ・ブレイディ([[2006年]])]]
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=== ブレイディ報道官 ===
また、この事件で頭部に銃弾を受け障害が残ったブレイディは、大統領報道官としての任務の遂行が不可能となったものの、[[1989年]]にレーガンがその任期を全うするまでの間、正規の大統領報道官として留任を続けることとなった。
 
事件後はブレイディの部下となる大統領副報道官が実質的に正報道官としての任務を行い、ブレイディは回復に向けての[[リハビリテーション]]に専念した。
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[[Category:アメリカ合衆国の政治史 (1945年-1989年)]]
[[Category:アメリカ合衆国の事件 (1945年-1989年)]]
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[[Category:暗殺未遂]]
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